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定期を失くした

先週の土曜、僕は会社の人間と吉祥寺で飲んでいた。正午から日が変わったあとまで。結局何時間飲んだかわからない。どうも最後がいつかわからないのだ。久しぶりに吐くまで飲んだ。何かしら迷惑をかけた気がするけど、それすら覚えていない。毎度こうなると、申し訳無さ以上に恥ずかしく、結構深めの穴に入って、「公務なんで」みたいな意味は分からないがもっともそうな理由をつけて2週間くらい桃鉄をやりたくなる。関係各位、ご気分を悪くされていましたら誠意を見せますのでWebフォームからご連絡ください。

深酒した時にかぎって、なぜかちゃんと帰れてるし風呂まで入ってたりする。朝も7時くらいに目が覚めたりする。今回も身体こそなかなか起きないものの、うっすらとした、知らせで言うと注意報くらいの二日酔いで済んでいたようだった。「だる〜」と独り言を外と室温の変わらない部屋に放ち、しばらく寝続けた。飯を食べないとそのうち手足が痺れてくるので、バレンタインの周辺でいただいた義理を食べる。食べられる義理と食べられない義理があり、季節柄食べられる義理が部屋に存在していたのだ。シャワーを浴び、平静を装って、街へ出ることにした。散歩程度で大したことはしていない。途中とてつもなく炭酸飲料が飲みたくなった。飲みたくなりますか?「ドデカミンC」みたいな名前も見た目も味もバカな飲料を買って飲み、クゥ〜〜〜した。悲劇はそのあとで、家に戻りカバンから物を取り出そうとすると激烈に濡れていたのだ。淡黄色に、人工的な甘い香りをブチまけており、ドデカミンが流出していた。慌ててタオルやティッシュを動員したのだが、ヌメ革の財布の様が悲惨だった。世界一甘いイルビゾンテだったと思う。いくつか入っていた紙幣も溺れかけていて、全員を救助した。軽く拭き取り、どうしようかと一瞬考えた結果、僕は紙幣をドライヤーで乾かすことにした。混乱のど真ん中にいた僕も、このはじめてで、罪悪感が伴う行為にワクワクした。家に戻り15分程度、僕はまだコートを脱いでいない。「ゴーーー」と音を立て熱風を福沢に送る、すごく熱くなる。届いてるか、英世。見えてるかい、「TURBO」だぜ。今まで使ったことない辺縁系皮質から恍惚感を伴う物質が出てくる。みなさんもお気に入りの紙幣を濡らしてみましょう!結局3枚くらいで飽きて、残りは吹いてから床に並べて放置した。ファブリーズをかけた。

そして今朝、僕は何事も無く健康に出社した。1ヶ月の定期が土曜に切れるとわかっていたので、家を出てからまっすぐ駅の券売機に向かった。まだ若干水跡が残る財布から定期を出そうとすると、無い。いつも入れていたカード入れの横の空間に、無い。マイナンバーカードはある。キャッシュカードもクレジットカードもある。だが定期が無い。どこかに落としたのだろうか。一昨日の壮絶な飲み会の空間のどこかか、家か、カバンか。いずれにせよ、朝のこの時間にゆっくり探す暇は無い。僕は新規で定期を発行した。デポジットをまた払う無駄へのいらだちと、前の定期に入った1,300円程度の惜しさに思考が逸れそうになったが、真っさらな印字がされたPASMOを受け取ってゲートを抜け、日常のループに突入した。

soundcloud.com

定期は、どこに行ったんだろうか。帰ってこないんだろうか。定期とは僕にとってなんだったんだろうか。デポジットの500円を払えばまた取り戻せるような、簡単な関係だったんだろうか。アイツと一緒になったのは、僕が上京してきた時だ。かれこれ4年になる。当時の僕は大阪でICOCAってヤツと付き合っていて、東京で新たな生活とともに、PASMOを迎え入れた。今思うと、ずっと一緒にいたんだなぁ。よく終電近くまで付き合わせていて、アイツがいるのに終電を逃してタクシーに乗ったこともあった。「私がいるのに」ってアイツは思っていただろうか。今回の深酒なんて電車にすら乗らないのに僕は朝まで飲んで、アイツのことなんて考えていなかった。現金を切らした時に自販機やコンビニで登場してくれて「ありがとう」と言ったことはあったけれど、それはなんていうか、感謝ではなく、「便利に使っている」というだけだった。どこに行くにも一緒だったのに、「ただいま」も「おかえり」も言ったことはなかった。今アイツは待っていてくれるのだろうか。財布を持ち出すたびに印字がかすれて、たとえば磨くとか、アイツが綺麗になることをしてやれなかった。いつも1ヶ月の定期で、全然贅沢をさせてやれなかった。いつか、1回でもいいから、半年の定期にしようと思っていたんだ。本当だよ。でも、もう叶わないのだろうな。今は別のヤツに拾われて、少し余っていた1,300いくらのお金を使われてしまっただろうか。それで捨てられてしまってないだろうか。アイツには1,300いくら以上の価値があるんだ、僕は知っている。他のヤツには消え入りそうな文字の、どこから来てどこまで行くのかわからない、ただの硬いカードかもしれない。だけど僕にとっては、大切な1枚なんだ。僕らの思い出がたくさん記録されている。全部じゃないが僕も記憶している。大阪でもお前が使えた時は嬉しかったよ。僕が持ついくらかの磁気はアイツのものなんだ。同時にアイツが持ついくらかの磁気は僕のものだ。アイツの声だけ見分けがつく。僕にはただの「ピッ」じゃなかった。そんなことばかり考えるけど、もうアイツにチャージできない、という事実だけが僕を締め付ける。これから僕はアイツがいない朝を、夜を、何度もくぐり抜けないといけない。毎日は続いていくけれど、駅員さんに会った時は欠かさず尋ねるようにしよう、アイツの居場所を。僕にできるわずかなことを、精一杯やっていこう。

チームの良さを確認するためにやったこと

この記事はProduct Manager Advent Calendar 2016の7日目の記事として書かれました。6日目の記事はgackyさんのおじさん Product Manager サバイバルガイドでした。

はじめまして。GMOペパボ株式会社でディレクターとして働いています。@jitsuzon です。弊社ペパボには「プロダクトマネージャー」という名称の職位や役職は存在しないため、自称プロダクトマネージャーとして、サービスのあれやこれやに関わっています。自称に至った経緯はこちらのスライドをご参考ください。

いきなりですが、みなさんのチームは「良いチーム」でしょうか?どこが良いのでしょう?どのくらい良いのでしょう?

この記事では、それをアンケートを用いて定量的に確認する方法について実践を元にお伝えしていきます。最近話題にのぼってくることも多い「心理的安全性」なんかも登場します。

背景

私は所属するチームに対して非常に満足感を感じていて、他のメンバーとチームについて話していても「今の状況はすごく良いよね」となることが多いです。ですが、先ほどと同じ問いが私の頭にふと浮かびました。「良い」と漠然とわかっているけど、言葉や数字で表したことはなかった。

もしこれが測れ、客観的にわかるものであったら、チームの健康診断がしやすいし、処方箋も出せる。また、自分のチームの良いところを自認して、さらに強みを高めることができる。良いところを他のチームに輸出することもできるでしょう。

手探りながらやってみようと思いました。

まず理想のチームとはなんだろう?

アンケートをしようかなと思っていたものの、いきなり設問をつくることはできません。まず前提となる理想や知識を整理することからはじめました。

良いチームを定義する

参考文献や経験などから自分で決めました。自身がマネジメントするチームの目標というイメージです。

  • 自律的な行動(適切な行動ができる)
  • 自律的な学習(常に能力を高めることができる)
  • 変化に柔軟に対応できる(環境に適応しやすい)
  • 十分な裁量(行動の幅が広い)
  • 持続性が高い(拡大できる、いっときで終わらない)

理想には前提がある

いきなり飛び級で理想の状態にはいけません。少なくとも前提が存在します。

  • 心理的安全
  • 信頼
  • 定義されたゴール

これらは特に、Googleのre:Workのこちらの記事を参考にしています。

rework.withgoogle.com

f:id:jitsuzon:20161206211121p:plain

上記の図がこのあとのベースになっています。心理的安全性が最も基礎的なものであり、下に行くほど上位なものになっていき、一番下は「仕事の影響の大きさ」となります。その他の参考文献は記事の一番下にまとめています。

アンケートを作成する

実際に計っていくために、アンケートを作成しました。使用したのはGoogleフォームです(なんでもいいと思います)。カテゴリ毎に設問を準備し、スコアを出せるよう5段階評価をします。

カテゴリ

先ほどのre:Workの図やその他の参考物、自分が考える理想の状況を組み合わせて以下のようにわけました。

  1. 心理的安全
    • 不安なく仕事できるか
    • リスクをとることができるか
    • 弱さを見せられるか
  2. 信頼性
    • 相手のことを信頼できるか
    • ちゃんと仕事をやってくれるか
    • 尊敬されていると感じるか
  3. ゴールや役割の明確さ
    • やるべきことがわかっているか
    • チームの構造がわかっているか
    • 情報や仕組みの透明性はあるか
  4. 責任・裁量
    • 仕事を行う上で十分な裁量があるか
    • やりがいを感じる仕事であるか
    • 適度な責任感を持って仕事をできているか
  5. 学習
    • 知識やノウハウが組織に蓄積されているか
    • 学習に対する前向きな姿勢があるか
    • 省察がきちんと行われているか
  6. 仕事の意義・影響
    • 仕事が楽しいか
    • 自分の仕事が誰を幸せにするかわかっているか
    • 仕事を通じて自己実現や成長ができているか

学習というのが自律的な発展において重要な要素だと思っており、それを入れ込んでいます。

設問

先ほどのものはカテゴリであり、実際の設問は以下です。カテゴリをさらに分解して設問として落とし込んでいきました。

1. 心理的安全

  • チームのメンバーとコミュニケーションが取りやすい
  • 自分が失敗しても周りに伝えることができる
  • たとえ相手と異なっていても自分の意見を伝えることは難しくない
  • チームのメンバーから意見が異なっているという理由で人格的に否定されることはない
  • ときにはリスクをとる選択もできる
  • 助けてほしいときにお願いすることができる
  • わざと足を引っ張るような行為をする人はいない
  • このチームではあなたのスキルや才能が発揮できている

2. 信頼性

  • チームのメンバーは信頼できる
  • 自分はチームのメンバーから信頼されていると感じる
  • チームメンバーから謙虚さを感じる
  • チームの他メンバーは尊敬できる
  • チームのメンバーは適切に仕事を完遂してくれる
  • このチームなら困難な課題でも乗り越えることができると思う

3. ゴールや役割の明確さ

  • 自分はチームがどういう目標を達成すべきか理解している
  • 自分はチームがどういう価値をお客さま(社会)に提供すべきかを理解している
  • チームの目標と自分個人の目標が連携していると思う
  • 何か仕事をするときに目的を意識できている
  • チームの中で自分は何をすべきかを理解している
  • だいたいどのような仕事でもどういうプロセスで進めるかがイメージできる
  • 仕事を進める上で必要な情報は隠されていない
  • チームの構成やメンバーの職種を把握している
  • チームメンバーがどのような仕事をしているかがわかる

4. 責任・裁量

  • 今の仕事にやりがいを感じている
  • やっている仕事の責任は大きいと思う
  • 目標・目的を達成する際にはたくさんの手段から選択できる
  • 仕事を進める上で適切な裁量が与えられていると感じる

5. 学習

  • 仕事の結果やノウハウはチームで共有されている
  • 必要であれば積極的に勉強をする
  • 自分やチームの仕事についてふりかえる機会が十分にある

6. 仕事の意義・影響

  • 今の仕事は楽しい
  • 仕事で自分が成長していると感じる
  • 仕事で誰かを幸せにしている実感がある
  • 自分の仕事がどれくらいサービスに影響しているか把握している

7. 良いところの確認:わたしたちは何を大事にするのか

  • チームの良いところを10個挙げてください。

各カテゴリで設問数をある程度揃えたかったのですがバラバラになってしまいました。少なくとも3個以上はないとスコア出すときに平均値がブレてしまうでしょう。心理的安全性を確認する質問については、同じくre:Workですがこのページが参考になります。

回答

以下の5段階。スコアを出すために点数をつけます。スコアの付け方や適切な設問数、評価に十分なサンプル数については私自身よくわかっていないので、有識者さまお待ちしております。

  • とてもそう思う(5点)
  • そう思う(4点)
  • どちらでもない(3点)
  • そう思わない(2点)
  • まったくそう思わない(1点) 

これらを無記名投票で集めます。回答には10分もあれば十分です。

結果

これを私が所属している10名のチームで行いました。結果はこんな感じ。

f:id:jitsuzon:20161206213005p:plain

上で挙げた設問数と異なるのは改訂がこの後にあったからです。

わかること

心理的安全性や信頼性といったものは高く、チームとしての基礎体力の高さがうかがえます。反対に低いのは「仕事の意義・影響」で、まだそこが十分に高いというほどではなかったようです。今後の課題ですね。

ただ、これはあくまで同一チーム内でのカテゴリの比較です。もっと正確に状況を把握するには、他チームと比較してどうか、同じチームの3ヶ月前と比較してどうか、など対照が必要です。

実は弊社内でもまだ私のチームしか実施していないので他チームの結果待ちです。みなさんのチームでもご実施されたら共有していただけると嬉しいです。もし自分のチームが低かったらと思うと恐怖ではありますが。

これから

学習支援の仕組みづくりなど次への施策や、良いところを下がりにくい状況にすることを取り組んでいきます。後者に関してはすでにアクションを進めています。

設問の最後に「チームの良いところを10個挙げてください」というものがありました。それは、チームの良さを明文化して行動指針とするためです。会社でいう理念やミッションにあたります。チームが大切にすることを決めることで、良いところが認識されやすく風化して良さが損なわれるのを防ぐことができます。それの決定にまつわるあれこれについてもまた書きたいと思っています。

さいごに

チームの良いところと課題は、チームの数だけあるでしょう。今回の方法ではそれを見つける手助けになればいいなと思っています。無闇に探すよりも、いくぶん楽になるはずです。改良案などありましたらコメントいただけますと幸いです。

みなさま、良きチームを!

 

私が所属するGMOペパボのグーペでは、新しいメンバーを募集しています。ご興味ある方はぜひ一度お話しましょう〜!

www.wantedly.com

そして、来週13日(火)に弊社でウェブディレクター向け(といってもウェブサービス関わる方なら誰でも歓迎)のイベントを行います。こちらもぜひに。お待ちしております。私は司会をします。

peatix.com

 

参考記事・書籍

re:Work - Guide: Understand team effectiveness

Product Team Management // Speaker Deck

成功するチームの隠し味

開発組織マネジメントのコツ // Speaker Deck

チームが機能するとはどういうことか - Amazon

 

それでも世界は美しい - 映画「聲の形」に寄せて

※たまたま見てしまった人へ。ネタバレがあります。注意してください。

 

僕は山田尚子監督の「たまこラブストーリー」が大好きだ。

青春を過ごす登場人物の瑞々しい動作を、暖かな優しい空気と風景が包む、人の輝きも儚さも全て受け容れる愛に溢れた作品だった。ストーリー自体は複雑なドラマがあるわけではなく、アニメなのに圧倒されるカメラの使い方と、背景美術の綺麗さ、登場人物の生々しいほどの存在感が同居していてかつエンタメとして成立している。文化庁メディア芸術祭でも「アニメのひとつの到達点」と評価される完璧な作品だ。当然、僕は同監督の「聲の形」を観に行くことになっていた。

2016年9月22日木曜祝日、僕は職場の同僚たちと映画館へ足を運んだ。公開から数日が経過し、ヒットかどうかがだいたいわかっていたころだった。満席の劇場でギリギリに到着した僕たちは、この後の予定なんかを話しながら上映を待った。僕は映画の後に合流する先輩に借りた本をボロボロにしてしまったので、書店で新品に変えるつもりだった。どこへ買いに寄ろうかと考えながらも、劇場の明かりが落ちるのを急かすように、僕は携帯の電源を落とし鞄にしまった。

言い訳を少し。僕は原作を読んだことが無かった。ネットで話題になっていたので大まかな設定は知っていたけど。「聴覚障害者の女の子と目つきの悪い男の子がいて、徐々に心を通わせていく」みたいな話だと思っていた。大きくは間違っていない。だが、甘く見ていた。というよりも、浅く見ていた。

http://koenokatachi-movie.com/img/top/keyvisual.jpg

映画『聲の形』公式サイト ©大今良時講談社映画聲の形製作委員会 

 

暗闇に水滴が落ちる、暗いトンネルの向こうに光が見える。抽象的なイメージからその映画は始まった。

 

「the shape of voice」

「a point of light」

 

文字がその上に浮かぶ。ただ、言葉としてはまだ抽象的だった。

形がつくられていく129分の本編で、無防備だった僕は、自分の奥にしまった、もう最近は見ていない、けれどあるのは知ってる感情を引き摺り出され困惑した。はっきり言って混乱した。

 

「死にたい」

 

主人公とヒロインが悲しくも抱えてしまっていた感情と同じ。僕は自分勝手なその感情を包んだ袋に穴が空き、どんな水よりも速く浸透していくのがわかった。

輪郭はないけど克明に、滲むように内面に広がっていった。思春期の時に初めて抱いたその気持ちは、とても独りよがりだった。他者とのコミュニケーションに絶望し、原因を全て自分の中に求めて、一番簡単な帰結にボロボロになって顔を濡らしながら進んでいく。14歳にピークを迎える半径自転車30分くらいの狭い世界での絶望を、つらく苦しく悲しい気持ちを、僕は捨てられず付き合い続けていた。折に触れて思い出しては、爆発しないようにその場で少し水を抜いた。大学時代に愛に触れて昇華できたと思っていたけど、全然そんなことはなかった。数年振りに、腐れ縁の気持ちに再会してしまった。

映画は本当に良かった。aikoが「恋をしたのは」という主題歌を歌っているせいもあってか恋愛の話、あるいは題材の1つとして扱われる障害周辺の話かと思われがちだが、そんなことはない。これはコミュニケーションの話で、主人公の将也がどう自分を赦して他者と向き合っていくかという物語だ。分かり合うなんて程遠いけど、それでも繋がりたい、そういったことが描かれている。キャラクターたちの言動は鋭利に僕の弱いところに手を伸ばす。けれど、風景や情景は、天井も底も無く愛でキャラクターたちを包んでいて、絶望ではない、希望を感じる作品だった。傑作で済むようなレベルではなかった。 

観終わって、頬を滲ませながら僕は途方に暮れていた。映画は終わった、けれども鑑賞時に沁みてきた「死にたい」という感情が消えず、放っておけばすごい勢いで広がりそうだった。打ちひしがれていた。幸いその時は同僚と一緒にいたので思索の旅に出るようなことは無く、予定通り本屋に行ったり、夕食を食べたり、笑って幸福に過ごした。

でも感情はあまり引っ込んでくれていないようで、次の日も、その後も、ずっと存在感が残っていた。この感情に向き合わなきゃいけないな、と考えながらも僕は目の前の仕事や出来事を手こずりながらこなした。手こずっていたのは、絶えず緊張感があったからだ。風船のように膨らんでいる感情の袋に、ふとした瞬間針が触れたら、弾けるように散乱してしまう。堰を切ったように止めどなく溢れてしまう。滂沱として涙は流れたままで、恥ずかしいくらい声も上げてしまうかもしれない。その瞬間を恐れつつも、待っていたんだと思う。用事のあった三連休の初日を終えた後、僕は残りの二日の中で向き合うことにした。単に暇だったからとか、好きなブログの更新がその日無かったとか、そういう些細な理由もあったと思う。

 

「僕は僕が嫌いだ」

 

漫然とした希死念慮の理由を深く掘っていくほど、僕は本当にダメなやつだとわかっていった。その時に書いた言葉のスケッチを、そのまま載せておく。

 

もしかすると、僕は死なないために生きてるのかもしれない。生きるのに理由なんているもんか、と思っていたけど、そうなのかも。放っとくと死んでしまうんだと思う。一人暮らしになったことも影響しているのだろうか。働いて社会と繋がって、仕事で認められて必要とされようとする。友達と酒飲んでもてなすように笑かして必要とされようとする。愛する人に愛されようとする。まるごと許してもらおうとする。教養を高めようとする。快楽に負けないようにする。怠惰に歯向かおうとする。全部死なないためなんだ。僕は何もしないとどんどん堕ちていく、マイナスに慣性の働いた人間なんだと思う。昔も今も僕は全然価値のある人間で無く、気をつけて真人間になる努力を続けないと、害悪にすらなってしまう。度々縄を締め直さないといけない。思春期にガッツリ否定されたこと、思ったより僕が打たれ弱かったこと、それでも踏ん張る支えや自信が自分に無かったこと、そいつらがずっと尾を引いてる、というか変わっていない。乗り越えるとかそういうものではないんだ。絶対に存在する。消せない。どうにか逃げ回り、麻酔を打つしか無い。僕はありのままでは本当に必要とされない、みんなに嫌われる人間になってしまう。なんとか抗っていかなきゃいけないんだ。だって人に必要とされないのは本当に辛いから。不要だと、疎ましいと、拒絶されるのは本当に苦しいから。自分は価値が無い、いちゃいけない人間だってわかってしまうのは本当に悲しいから。もう、そんなのは嫌なんだ。本当のことを言えばそんなの知りたくなかったよ。でもこう出来ちゃったんだから仕方ない。なんとか教師を見つけてそこに近づいていくしかないんだ。孤独になって無気力になって自死するまでにそんなに距離はないだろう。

 

自己愛がそれなりに植え付けられてしまっている。ここは親に感謝する場所かもしれない。僕は親にあまり愛されていないと思っていたが親は僕を愛し、僕はそれに応えていないだけなんだ。愚かだなぁ。それでその自己愛と現実の冴えない僕、ともすれば害になりそうな僕とのギャップでよく傷つく。本当は卑小な人間なのに無駄にプライドみたいな自己愛、傲慢さがあって、当然打ち砕かれるわけだから落差がすごい。高層マンションからコンクリートに叩きつけられるようだ。自分の認識も自己愛部分に近いのではなく現実寄りなため、期待もしていないし満足させてやろうともしない。理性的には自己否定しか出てこない。それでも深層では自分は愛されるべき人間だという感覚が存在しているのだろう。僕が死にたくなるのはそのギャップに気付かされた時だ。あと、自己否定が当たり前になっていて、それも深層にできてしまっていた。自己愛との融合はあまりせず、存在している。ふとした時、僕は死にたい側の人間であるのだと実感する。自己愛は生きるには届かず、淡い希望程度であった。

 

以上が僕の「死にたい」を確かめる工程だった。結論を出さなくてはならないなら、「僕は死んだほうがいい」ということになる。この時は本当に悲愴で、生活するのも嫌だった。中でもボディソープを詰め替えるという行為が苦痛で仕方なかった。「生きるつもりかよ」という気持ちになったんだ。14歳から考えてることを、なんでまた28歳にもなってやってるんだよ、という失望もあった。30とか40になっても毛布に泣き声押し付けてるのを想像したら本当に惨めな気持ちになった。 

この気持ちを着地させるため、映画の時に感じた気持ちの輪郭をもっとはっきり掴みたくて、藁をも掴む思いで「聲の形」の原作漫画を読んだ。作品に対してたくさんの情報が補完され、テーマは同一だともわかり、登場人物たちに乗せながら感情を少しずつ整理することができた。それでも、まだわからなかった。僕はもう一度、きっかけとなった映画版「聲の形」を観に行くことにした。原作よりも大きな宇宙的サイズの愛がそこにはあって、僕はそれに包まれることで許されようとしていた。許されなくても、もう一度触れることでわかることがあるかもしれないと思った。当時の僕はもう壮絶で、飛び込まないか不安で電車に乗りたくないくらいだった。気を抜いたら死んでしまう。そうなってもおかしくないな、と他人事のように思っていた。自分を追い込みすぎた。

鑑賞して、僕はまた何度も涙を流し、同じ感情をリフレインした。それでも「生きよう」に届くほどの希望を見つけられなかった。愛は確かにあったし、絶望から一縷の希望も見えはしたのだけど。まだ足りない、そう思って関係者のインタビューを読み漁った。そこで愛の理由や、作品のどこに表現として現れているかを言葉から認識できた。

この子たちは明日を生きるのも辛そうなくらいすごく悩んでいますよね。でも一歩引いて見た時に、その子たちがいる世界ごとはそんなに絶望感がある訳じゃない。ちゃんと生命は宿っていてお花は咲くし、水も湧くし。彼らがいる世界全てが悩んでいたら嫌だというか、彼らがパッと見上げた空は絶対に綺麗であって欲しいと思ったんです。水だったり空気だったり生命だったり根源的なものは、前向きな感情を持って描きたかったので「ちゃんと綺麗なものとして描こう」と思っていました。あと、見ている方的にも居心地の良い映画でありたいという思いがありました。

「音・色・動きを付けることで、 辛い想いのもう一歩先の出口まで描きたい」 映画『聲の形』監督・山田尚子インタビュー - インタビュー&レポート | ぴあ関西版WEB

 

僕は下を向いて、耳を塞いで、相手の聲から本当を知ろうともせずに閉じこもっていた。もし僕が生きていくなら、真人間になるための努力を続けつつ、真心でコミュニケーションをしようと思った。そして、周りをちゃんと見て、世界は美しいんだと讃えられるようになりたいなと思った。二回目の映画が終わった後すぐにはそんな気持ちにはならず、もがいていたんだけど。今もまだもがいているし。二回目の後は場所が新宿だったから歌舞伎町に片足突っ込んだ焼き鳥屋で独りで飲んだ。鶏皮と一緒に反芻して咀嚼しようと記事を読み漁っていたのはその時だ。

酔いの足で、早速行動した。まずは顔を上げて向き合うことが僕には必要で、昔からろくに家族とコミュニケーションをとっていなかったから、酔ってる時にしては初めて連絡をした。そしたら母と兄にすごい心配された。「僕は本当にダメで、ごめんね」なんてメッセージが来たら、そりゃそうか。でも二人とも優しく、あぁこれが僕が背いてた世界なんだと、本当に情けない人間だな、矮小で卑小だなと感じたのだった。少しずつでもいいから、なんとか報いて感謝していかないとな、もっと誠実にならないとな、と、それくらいは思えるようになった。

今は心が本当に落ちすぎたので、急な負荷をかけないようにリハビリのつもりでゆるやかに気持ちを整理している。他者とのコミュニケーションの先に自分を許せる可能性があるのか考えたりとか、世界の美しさに目を向ける訓練を始めた。「聲の形」で将也が生まれ直せたように、僕もできるかもしれない。新たな愛っていう一発逆転は無いかもしれないけど、自分が自分のことをまあいいんじゃないって思えるくらいには肯定してやりたいし、でもやっぱできれば他人に愛されたい。そして、自信を持って人を愛したい。僕みたいなことを考える暇が無いくらい忙しく幸せにしたい。つらくっても大丈夫って思えるくらい安心させてあげたい。ちゃんと話も聞くし、しようともする。聲の奥にある気持ちをわかろうとします。

僕は人間はつらく、苦しく、悲しいもの、それでいていじらしいものだと思っている。人生も結構大変かな。でも、人間の外の世界はやっぱり全てを肯定しているし、美しいものや瞬間はたくさんあるのだと映画と一連のことを通して意識できるようになった。一歩先、希望の小指くらいは見えてきた。この先とても大変なことがあるかもしれないしたぶんあるんだろう。どこかに飛び込んでしまいたいほど悲しいことがあっても、僕は、それでも世界は美しいということは忘れずにいたい。14歳の時、僕はどうにもできなくなって自分の住んでいるマンションの最上階に行ったことがある。衝動的で、覚悟は無かったけど。エレベーターのドアが開き、焦るように柵へと歩いた。下を覗き込むとやっぱりとても高くって、単純に怖くなった。昔なわとびをした空間がとても小さくなっていた。でも怖く感じることにどこか安心して、ふと顔を上げると、真っ直ぐ最上階から見る景色は夕陽がとても綺麗だった。抗う隙間が微塵も無いほどに輝いていた。もっと綺麗に見える場所を探し、時間にしては10分くらい、強いオレンジ色の光と優しく薄い雲のグラデーションを見つめた。その時も、世界は美しかったんだ。ようやく思い出せた。

塞ぎ込んでいた間に郵便受けに溜まっていたチラシを片付けて、パンを食べて、朝にはもう少し寝たいなと眠気を感じながら、また一日を始めることにした。木々が揺れる公園も、電車から見える家並も、たくさんのうねった道路も、見つめると悲しそうな表情はしていなかった。生きるのを少し手伝ってくれそうに思えた。

 

「君の名は。」に感じる良さと不安

君の名は。」を観た。

www.kiminona.com

新海誠だった。彼が好きなものが画面と時間いっぱいに詰め込まれていた。軽蔑も恐れず言うと僕は好きです。

この増田にあるように、ストーリーや設定は深掘りに耐えられるほどではないけど、自分が心の奥底に持ち育ててきた「青さ」を刺激するには十分だった。

anond.hatelabo.jp

秒速5センチメートル」は少し攻撃力が高いし、「星を追う子ども」はストーリーが意味不明すぎる、「言の葉の庭」はエンターテイメント性が足りない、みたいに思う人にぶつけてやりたい。

 

結局は、「琴線に触れる」のだ。

彼女と僕だけのセカイ、自分なら救えるんじゃないかという肥大した自意識、鬱屈しながらも美しい日常、SFからくるロマン。この文字列にピンときたらもうチケットを買うべき。

 

新海誠に触れる時は、こっ恥ずかしいで済まないほどの胸を締め付ける青さを期待しませんか?だからこそ「秒速5センチメートル」は中毒性があった。辛いのに、深夜に観るべきではないのに目をかけてしまう。痛気持ちいいの類なのかな。村上春樹をあまり知らないけど、似たような感じなのだろうか。いい大人がいつまで経ってもこんなものをつくり続けることに、僕は「すげえな」って思う。見方によったら「論理とかいいからこの感情を見ろ!」って言ってるようにも思えて。シンゴジラが相当面白かったけどシンゴジラ精神モードで「君の名は。」を観ると心が大変なので気をつけてほしい。シンゴジラは感情部分を過剰なほど書かず、それやリアリズムが爽快感を演出していたけど、「君の名は。」は逆。感情を見て!って感じ。女子高生を制服で山道走らせてるのどう!?みたいな感じもある。「あの花」でお馴染み田中将賀キャラクターデザインでドラマに没入しやすくし、RADWIMPSもかけるんだよ?そのあたりズルいし抵抗したくなるけどまんまと良い…。

 

君の名は。」は今までの新海誠作品をギュッと詰め込んだようなものになっている。そしてエンターテイメントでもある。初めに新海誠作品を見る人にはこれをオススメしたい。でも、不安に思うことが1つある。それは、もうこれが最後なんじゃないかってこと。セルフオマージュがいっぱいで今までの総括のような状態。スターシステムで過去のキャラクターも出てくる。新しい要素はあまりなく、適度なカタルシスのエンドに持ってこれた構成脚本くらいか。もうこれが引き出しの限界なんじゃないのって思えた。それでも同じようなものをつくり続けてもいいし需要はありそうだけど、つくり続けるのかなぁ。3年に一度くらい、高校生カップルとセカイ系原住民に攻撃を加えるのでもいいけど。

 

とりあえず高校生になって気になる子と新宿でこの映画を観るので一旦死にます。

 

【SHIROBAKO】松亭活動報告2015

 これは SHIROBAKO Advent Calender 20日目の記事です。 

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SHIROBAKOの聖地「松亭」をみなさんご存知かと思いますが、僕も通い続けてだいたい1年になろうとしています。前回の記事の後、何をしていたかここでご報告させていただきます。前回の記事は以下からご覧ください。

jitsuzon.hatenablog.com

東京での放送は毎週木曜だったので、今もSHIROBAKO系常連の多くは木曜に集まります。来ることもあれば来ないこともある、そんなゆるい感じで、会うときはアニメに限らず他愛のない話をします。

僕はたびたび会社の人たちを連れて行きました。最寄りの吉祥寺駅も聖地であるので写真を撮ったりしながら向かいます。迷惑では?

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何も省みないオタクは結果的に良い笑顔になります。 

6名で予約を取ると、お母さんがアニメの席を再現した形で席を作ってくれます。

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普段の配置と違う特別仕様。奥のオジサンも含めメガネ率が高い。撮ってる僕もメガネ。

一通り飲み食いしたところで、松亭のお母さんにお願いし、松亭でのSHIROBAKO視聴を始めます。今まで3回くらいやりましたがもう視聴のコースは決まっており、

  • 第4話「私ゃ失敗こいちまってさ」
  • 第16話「ちゃぶだい返し」
  • 第23話「続・ちゃぶだい返し」
  • 最終話「遠すぎた納品」

となります。これが鉄板だという認識です。

第4話は松亭メイン回なのでここじゃん!となり最高。第16話はそもそも話自体が最高。エンゼル体操やゴスロリ甲子園など密度が強く存在します。第23話はずかちゃんが救われて号泣で最高。最終話はみんなでドンドンドーナツして最高。本当にエクスペリエンスです。

観る人の仕事によって感情移入するキャラクターが異なり、マネージャーは木下監督、ディレクターはみゃーもり、デザイナーはえまちゃんに移入していました。

ここで突然ですが、松亭の私的ベストメニューを発表します。

  • チキンカツ
  • 鳥豆腐
  • 明太子
  • おにぎり+味噌汁

だいたい美味しいのですが、その中でも上はマストメニューの認識です。おにぎりと味噌汁を最近シメとして導入した結果、より強い体験となりました。よく聞かれるのですが、アニメで登場したのは焼き鳥、枝豆、フライドポテトです。枝豆とポテトは元々メニューに無かったと思いますが、やんや言ってたらいつの間にか実装されていました。ありがとうございます。あと松亭はスタメンメニュー以外に今日のオススメもあるので、頻繁にオススメされているゴーヤチャンプルーを頼んだりします。普通に秋はサンマを食べます。
これはまだ起きてないですが、実は今年のクリスマスイブは木曜なので、クリスマス会をします。特別にお店から許可をいただき、痩せた本田さんが木下監督にもってきたモンブランを食べます。

店内にはSHIROBAKOグッズとガルパングッズがあり、日々ドンドン増えていきます。

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ちょっとわかりにくいけど右上のゾーン。(他にも店内の様々なところにある)

BDBOXなども含めて全てが有志からの寄付です。ガルパングッズがあるのは、同じ水島努監督だという点と、SHIROBAKO系常連に大洗ガチ勢が多いからです。お店をされているご夫婦は先日劇場版ガールズ&パンツァーを極上爆音で観たそうです。

 

今後もやっていく気持ちがあります。

こちらからは以上です。

 

もう一度インターネットをする気持ちになった

先日SUZURIというウェブサービスコミティアに出展し、併せて冊子を作ることとなった。その企画者に文章を書け、と迫られた。なんでも僕が暇そうかつ断れなさそうだったからみたい。以下はその冊子「スリスリコミック」に寄せた原稿です。

 

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「繋がれば、分かりあえば、もう怯えなくていい」

 

本当の理解とは何か。繋がった気がした瞬間は永続するのか。

いつだって僕は怯えている。最近のインターネットからは、現実が見え過ぎる。

 

インターネットはかつて広大で、可能性に満ち、現実の雑音をくぐり抜けた先にあるワンダーランドだった。一部の人にとっては今もそうなんだろう。だが僕のインターネットは、どんどん道具になっていった。中学校に上がり、初めて鉛筆からシャープペンシルに持ち替えた時のような高揚感はほぼ失われ、季節のように当然に巡る。

 

ピーヒョロロ、ピーガガガ、と始まる月10時間限定のインターネットが僕の原体験だ。今ではチャットも、ファンサイトのBBSも、吉岡美穂の水着画像ですら皆、「若い時は…」なんてボロ雑巾のような"枕"で始まる酒の肴になってしまった。心底絶望する。小中学生メル友ステーションで知り合った可愛い女の子は、僕と他クラスメイト10人に同じメッセージを送るロボットだった。情報の先生は真顔で「ネチケット」と言っていた。阿部寛みたいなサイトがいっぱいで、それが当然だった。本当なんだ。

 

あの頃の遊園地のようなワクワクも、ヒヤヒヤも、もうここには微塵も無い。僕は気にしている。このツイートが誰かを傷つけやしないか。このはてなブックマークで僕の浅い底が見えやしないか。彼女に好きな人が居ることを知ってしまいやしないか。そしてこの考えに足を踏み入れる度に、中二階から別の僕が覗き込み、「なんて自意識過剰で愚かなんだ」と吐き捨てる。その度に「ごめんなさい」と心で百回唱えることが僕の最近のインターネットである。

 

結論から言うと、僕は分かりあえなかった。インターネットの中に人格を立て、それをじっくりと育てることは、僕が好きなRPGゲームのレベル上げという行為に似ていた。MMORPGとしてTwitterはとても優秀だった。大阪の留年ぶちかまし大学生だった僕は今、東京でインターネットの会社に勤めている。エラい出世である。それもこれもインターネットで新たにキャラクターを作り、演じ切ったからだ。jitsuzonというアカウントには自己が散在しているものの、全くもって僕ではない。くだらない自虐を投下し、哀れみ半分の星をつけてもらう。時にはポエムを流し、恋に恋する乙女がハートをつける。「オフ会をしよう」だなんて言葉は他人事すぎて的を得ず、自分を切り売りすることも大して重大ではなかった。

 

ただ悔しいのは、僕は本当に親友と呼べる人が居ないんだ。双子のように全てを疎通しあう人が居ない。相手が期待する僕は、本質とは大きく異なってばかりだ。それでも僕は彼に会い、彼女にリプライを飛ばし、正気かどうか分からない他人に星をつける。どうやっても僕はアカウントになれないし、アカウントから本当の彼らはわからない。それに気付いてしまっている。もう諦めてしまっている。そこには遣る瀬も、寄る辺も無い。でも諦念の一つには、ずっと信じてしまうんだろうな、という漠然とした光もある。自由でなくなったのは僕であり、決してインターネットではない。

 

「欲しいものは、作ればいい。」(SUZURIのWebサイトより)

 

言ってくれるよなぁ、とは思う。いつか誰の手でも無い、自分自身の手でエデンをつくれる。残骸だらけで足場が悪いこの場所に、綺麗な花が咲く日が来る。夢想的なのはわかっているけど、行動の不足を咎めるのは今じゃない。思い出すべきなのは、もっと繋がっていたいと思った10時間と1秒目ではないだろうか。初めてハンドルネームを呼ばれた時に感じた世界の拡がりではないだろうか。このSUZURIのコピーは希望として十分かはわからない。だけど、それは1つのコメントを思い出させる。為す術が無かった僕のインターネット状況を吐露したブログについた、会ったことも無い人からのコメント。それは当時の僕に余るほどの希望をくれた。まるで数回の人生を共にした親友のようだった。僕からまだ見ぬ皆さんへのコメントでもある。

 

「約束の地をまたつくろう」

 

SUZURIコミティア出展に寄せて - jitsuzon

  

個室トイレに居る無音の人間について

昨日も行ったんだけどさ、トイレ。ショッピングセンター系のとこの。個室がいっぱいで入るまでにまあまあ待ったわけ。待ったって言っても5分くらいだろうけど、トイレ前での5分はほぼ2時間みたいなもんじゃん?別にダムが決壊しそうとか腸の中を龍が駆け巡ってる状態じゃなかったから良かったものの、なんかこうもやもやしてたわけです。そしたらこないだTwitterで見たコレ思い出して、

 

「それな」みたいになってたら、やっぱり出てきた時スマホ持ってた。 

そんでまたソイツが出てくる時の所作が微妙に小狡くて、出る前におもむろに「ジャー!」とかいって水流すの。申し訳程度に流してから出てくるの。もう出ますよ〜みたいな。交代で〜すみたいな。謝れよ。水に。

5分無音が続いていきなり流すって、純粋無垢に考えるとどういう状況かって一応推察してみたんだけど、ぼくが入ってくる前に用を足して、ウォシュレットをして、自然乾燥に5分を要したとしか考えられなかったの。「自然乾燥派な人もいていいよね〜」とか結婚を機に一段上から会話するOLみたいになれたらよかったんだけどやっぱ無理。絶対スマホ。パズドラかモンスト。気持ちはわかるんだけどさ。ぼくだって二日酔いになってトイレでサボることもあるわけですし。でも想像力に欠ける行為だよね。毎回ヤクザが扉の前でトイレ待ってると思ってほしいよね。それか10分くらい経過すると一旦扉が透明になってほしいよね。もしくは「トイレスマホマン」みたいな雑なアダ名付けられて取引先にメール送ってほしいよね。「お世話になっております。本日から貴社を担当することになりましたトイレスマホマンです」みたいなね。隣の席に内線来ても「はい、代理のトイレスマホマンです」みたいなね。

 

ちょっと話変わるけど、トイレで寝るの難しくない?トイレに座ってる以上無意識になるとシちゃう可能性があるから一応パンツまで下ろしておかないといけないし、下ろしたら下ろしたで局部周辺だけスースーした状態で寝た経験ないから慣れないし、伏せる感じで寝ようとしてトイレットペーパーが2基ある平べったいとこに片腕乗せたら金属ちべたってなるし。絶妙にコントロールされてる感がある。

トイレへの愛と憎しみをもう少しだけ書きたい。

便座洗えるやつ最高だよね。こういうやつ。

 

 

ていうか売ってんのかよ!相場わかんないけどなんかちょう安い気がする! 

こういう便座ジェルマンとか便座シュッシュちゃん大好き。何が好きかって、まずシンプルに、便座を綺麗にしたい、そこが達成されること。そして便座を個々に拭くことで、清掃員の方のお掃除が楽になること。これって就活生が特に好むWin-Winでは?こんなところにもWin-Winがあるよ?

憎しみの方も書いておくと、男性便所の音姫は無駄。使ってるの聞いたこと皆無。男って豪胆な部分を内に秘めてたいみたいなところがあって、音姫使って自分のブリ音誤魔化すなんて軟弱オカマ野郎の所業だろみたいな無益な意地があるから結局使われない。仮にYOSHIKIのドラムが菊門で奏でられてたとしても使うひとは居ないと思う。

あとこれは個人的な恨みで、ウォシュレットの水勢が今どの段階かわかんないやつやめてほしい。「+」と「−」しかないやつ。うちの会社このタイプなんですよ。ぼくって痔みたいなところあるじゃない?なので基本しょっぱなは最弱でいきたいの。最弱から徐々に上げていく水勢運用をしたいの。今のだと設定状況がわかんないから毎回「おしり」を押した後に焦って「−」をオーバープッシュすることになる。一度他人を信じて(忘れてて)水勢をいじらずにスタートしたことがあるんだけど、10段階で言うと10くらいのロケットスタートをカマされてぼくのマフラーが即クラッシュした。それ以来他人を信じられなくなったので今度産業医に相談するつもり。

400字くらいで終わらせようかと思ってたらすっかり長くなってしまった。

トイレの中で書く量じゃない。

最後に。ウォシュレットが動いてくれるタイプじゃないからって自分で腰を動かす姿はとても滑稽だね。

 

こちらからは以上です。