「君の名は。」に感じる良さと不安

君の名は。」を観た。

www.kiminona.com

新海誠だった。彼が好きなものが画面と時間いっぱいに詰め込まれていた。軽蔑も恐れず言うと僕は好きです。

この増田にあるように、ストーリーや設定は深掘りに耐えられるほどではないけど、自分が心の奥底に持ち育ててきた「青さ」を刺激するには十分だった。

anond.hatelabo.jp

秒速5センチメートル」は少し攻撃力が高いし、「星を追う子ども」はストーリーが意味不明すぎる、「言の葉の庭」はエンターテイメント性が足りない、みたいに思う人にぶつけてやりたい。

 

結局は、「琴線に触れる」のだ。

彼女と僕だけのセカイ、自分なら救えるんじゃないかという肥大した自意識、鬱屈しながらも美しい日常、SFからくるロマン。この文字列にピンときたらもうチケットを買うべき。

 

新海誠に触れる時は、こっ恥ずかしいで済まないほどの胸を締め付ける青さを期待しませんか?だからこそ「秒速5センチメートル」は中毒性があった。辛いのに、深夜に観るべきではないのに目をかけてしまう。痛気持ちいいの類なのかな。村上春樹をあまり知らないけど、似たような感じなのだろうか。いい大人がいつまで経ってもこんなものをつくり続けることに、僕は「すげえな」って思う。見方によったら「論理とかいいからこの感情を見ろ!」って言ってるようにも思えて。シンゴジラが相当面白かったけどシンゴジラ精神モードで「君の名は。」を観ると心が大変なので気をつけてほしい。シンゴジラは感情部分を過剰なほど書かず、それやリアリズムが爽快感を演出していたけど、「君の名は。」は逆。感情を見て!って感じ。女子高生を制服で山道走らせてるのどう!?みたいな感じもある。「あの花」でお馴染み田中将賀キャラクターデザインでドラマに没入しやすくし、RADWIMPSもかけるんだよ?そのあたりズルいし抵抗したくなるけどまんまと良い…。

 

君の名は。」は今までの新海誠作品をギュッと詰め込んだようなものになっている。そしてエンターテイメントでもある。初めに新海誠作品を見る人にはこれをオススメしたい。でも、不安に思うことが1つある。それは、もうこれが最後なんじゃないかってこと。セルフオマージュがいっぱいで今までの総括のような状態。スターシステムで過去のキャラクターも出てくる。新しい要素はあまりなく、適度なカタルシスのエンドに持ってこれた構成脚本くらいか。もうこれが引き出しの限界なんじゃないのって思えた。それでも同じようなものをつくり続けてもいいし需要はありそうだけど、つくり続けるのかなぁ。3年に一度くらい、高校生カップルとセカイ系原住民に攻撃を加えるのでもいいけど。

 

とりあえず高校生になって気になる子と新宿でこの映画を観るので一旦死にます。

 

【SHIROBAKO】松亭活動報告2015

 これは SHIROBAKO Advent Calender 20日目の記事です。 

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SHIROBAKOの聖地「松亭」をみなさんご存知かと思いますが、僕も通い続けてだいたい1年になろうとしています。前回の記事の後、何をしていたかここでご報告させていただきます。前回の記事は以下からご覧ください。

jitsuzon.hatenablog.com

東京での放送は毎週木曜だったので、今もSHIROBAKO系常連の多くは木曜に集まります。来ることもあれば来ないこともある、そんなゆるい感じで、会うときはアニメに限らず他愛のない話をします。

僕はたびたび会社の人たちを連れて行きました。最寄りの吉祥寺駅も聖地であるので写真を撮ったりしながら向かいます。迷惑では?

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何も省みないオタクは結果的に良い笑顔になります。 

6名で予約を取ると、お母さんがアニメの席を再現した形で席を作ってくれます。

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普段の配置と違う特別仕様。奥のオジサンも含めメガネ率が高い。撮ってる僕もメガネ。

一通り飲み食いしたところで、松亭のお母さんにお願いし、松亭でのSHIROBAKO視聴を始めます。今まで3回くらいやりましたがもう視聴のコースは決まっており、

  • 第4話「私ゃ失敗こいちまってさ」
  • 第16話「ちゃぶだい返し」
  • 第23話「続・ちゃぶだい返し」
  • 最終話「遠すぎた納品」

となります。これが鉄板だという認識です。

第4話は松亭メイン回なのでここじゃん!となり最高。第16話はそもそも話自体が最高。エンゼル体操やゴスロリ甲子園など密度が強く存在します。第23話はずかちゃんが救われて号泣で最高。最終話はみんなでドンドンドーナツして最高。本当にエクスペリエンスです。

観る人の仕事によって感情移入するキャラクターが異なり、マネージャーは木下監督、ディレクターはみゃーもり、デザイナーはえまちゃんに移入していました。

ここで突然ですが、松亭の私的ベストメニューを発表します。

  • チキンカツ
  • 鳥豆腐
  • 明太子
  • おにぎり+味噌汁

だいたい美味しいのですが、その中でも上はマストメニューの認識です。おにぎりと味噌汁を最近シメとして導入した結果、より強い体験となりました。よく聞かれるのですが、アニメで登場したのは焼き鳥、枝豆、フライドポテトです。枝豆とポテトは元々メニューに無かったと思いますが、やんや言ってたらいつの間にか実装されていました。ありがとうございます。あと松亭はスタメンメニュー以外に今日のオススメもあるので、頻繁にオススメされているゴーヤチャンプルーを頼んだりします。普通に秋はサンマを食べます。
これはまだ起きてないですが、実は今年のクリスマスイブは木曜なので、クリスマス会をします。特別にお店から許可をいただき、痩せた本田さんが木下監督にもってきたモンブランを食べます。

店内にはSHIROBAKOグッズとガルパングッズがあり、日々ドンドン増えていきます。

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ちょっとわかりにくいけど右上のゾーン。(他にも店内の様々なところにある)

BDBOXなども含めて全てが有志からの寄付です。ガルパングッズがあるのは、同じ水島努監督だという点と、SHIROBAKO系常連に大洗ガチ勢が多いからです。お店をされているご夫婦は先日劇場版ガールズ&パンツァーを極上爆音で観たそうです。

 

今後もやっていく気持ちがあります。

こちらからは以上です。

 

もう一度インターネットをする気持ちになった

先日SUZURIというウェブサービスコミティアに出展し、併せて冊子を作ることとなった。その企画者に文章を書け、と迫られた。なんでも僕が暇そうかつ断れなさそうだったからみたい。以下はその冊子「スリスリコミック」に寄せた原稿です。

 

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「繋がれば、分かりあえば、もう怯えなくていい」

 

本当の理解とは何か。繋がった気がした瞬間は永続するのか。

いつだって僕は怯えている。最近のインターネットからは、現実が見え過ぎる。

 

インターネットはかつて広大で、可能性に満ち、現実の雑音をくぐり抜けた先にあるワンダーランドだった。一部の人にとっては今もそうなんだろう。だが僕のインターネットは、どんどん道具になっていった。中学校に上がり、初めて鉛筆からシャープペンシルに持ち替えた時のような高揚感はほぼ失われ、季節のように当然に巡る。

 

ピーヒョロロ、ピーガガガ、と始まる月10時間限定のインターネットが僕の原体験だ。今ではチャットも、ファンサイトのBBSも、吉岡美穂の水着画像ですら皆、「若い時は…」なんてボロ雑巾のような"枕"で始まる酒の肴になってしまった。心底絶望する。小中学生メル友ステーションで知り合った可愛い女の子は、僕と他クラスメイト10人に同じメッセージを送るロボットだった。情報の先生は真顔で「ネチケット」と言っていた。阿部寛みたいなサイトがいっぱいで、それが当然だった。本当なんだ。

 

あの頃の遊園地のようなワクワクも、ヒヤヒヤも、もうここには微塵も無い。僕は気にしている。このツイートが誰かを傷つけやしないか。このはてなブックマークで僕の浅い底が見えやしないか。彼女に好きな人が居ることを知ってしまいやしないか。そしてこの考えに足を踏み入れる度に、中二階から別の僕が覗き込み、「なんて自意識過剰で愚かなんだ」と吐き捨てる。その度に「ごめんなさい」と心で百回唱えることが僕の最近のインターネットである。

 

結論から言うと、僕は分かりあえなかった。インターネットの中に人格を立て、それをじっくりと育てることは、僕が好きなRPGゲームのレベル上げという行為に似ていた。MMORPGとしてTwitterはとても優秀だった。大阪の留年ぶちかまし大学生だった僕は今、東京でインターネットの会社に勤めている。エラい出世である。それもこれもインターネットで新たにキャラクターを作り、演じ切ったからだ。jitsuzonというアカウントには自己が散在しているものの、全くもって僕ではない。くだらない自虐を投下し、哀れみ半分の星をつけてもらう。時にはポエムを流し、恋に恋する乙女がハートをつける。「オフ会をしよう」だなんて言葉は他人事すぎて的を得ず、自分を切り売りすることも大して重大ではなかった。

 

ただ悔しいのは、僕は本当に親友と呼べる人が居ないんだ。双子のように全てを疎通しあう人が居ない。相手が期待する僕は、本質とは大きく異なってばかりだ。それでも僕は彼に会い、彼女にリプライを飛ばし、正気かどうか分からない他人に星をつける。どうやっても僕はアカウントになれないし、アカウントから本当の彼らはわからない。それに気付いてしまっている。もう諦めてしまっている。そこには遣る瀬も、寄る辺も無い。でも諦念の一つには、ずっと信じてしまうんだろうな、という漠然とした光もある。自由でなくなったのは僕であり、決してインターネットではない。

 

「欲しいものは、作ればいい。」(SUZURIのWebサイトより)

 

言ってくれるよなぁ、とは思う。いつか誰の手でも無い、自分自身の手でエデンをつくれる。残骸だらけで足場が悪いこの場所に、綺麗な花が咲く日が来る。夢想的なのはわかっているけど、行動の不足を咎めるのは今じゃない。思い出すべきなのは、もっと繋がっていたいと思った10時間と1秒目ではないだろうか。初めてハンドルネームを呼ばれた時に感じた世界の拡がりではないだろうか。このSUZURIのコピーは希望として十分かはわからない。だけど、それは1つのコメントを思い出させる。為す術が無かった僕のインターネット状況を吐露したブログについた、会ったことも無い人からのコメント。それは当時の僕に余るほどの希望をくれた。まるで数回の人生を共にした親友のようだった。僕からまだ見ぬ皆さんへのコメントでもある。

 

「約束の地をまたつくろう」

 

SUZURIコミティア出展に寄せて - jitsuzon

  

個室トイレに居る無音の人間について

昨日も行ったんだけどさ、トイレ。ショッピングセンター系のとこの。個室がいっぱいで入るまでにまあまあ待ったわけ。待ったって言っても5分くらいだろうけど、トイレ前での5分はほぼ2時間みたいなもんじゃん?別にダムが決壊しそうとか腸の中を龍が駆け巡ってる状態じゃなかったから良かったものの、なんかこうもやもやしてたわけです。そしたらこないだTwitterで見たコレ思い出して、

 

「それな」みたいになってたら、やっぱり出てきた時スマホ持ってた。 

そんでまたソイツが出てくる時の所作が微妙に小狡くて、出る前におもむろに「ジャー!」とかいって水流すの。申し訳程度に流してから出てくるの。もう出ますよ〜みたいな。交代で〜すみたいな。謝れよ。水に。

5分無音が続いていきなり流すって、純粋無垢に考えるとどういう状況かって一応推察してみたんだけど、ぼくが入ってくる前に用を足して、ウォシュレットをして、自然乾燥に5分を要したとしか考えられなかったの。「自然乾燥派な人もいていいよね〜」とか結婚を機に一段上から会話するOLみたいになれたらよかったんだけどやっぱ無理。絶対スマホ。パズドラかモンスト。気持ちはわかるんだけどさ。ぼくだって二日酔いになってトイレでサボることもあるわけですし。でも想像力に欠ける行為だよね。毎回ヤクザが扉の前でトイレ待ってると思ってほしいよね。それか10分くらい経過すると一旦扉が透明になってほしいよね。もしくは「トイレスマホマン」みたいな雑なアダ名付けられて取引先にメール送ってほしいよね。「お世話になっております。本日から貴社を担当することになりましたトイレスマホマンです」みたいなね。隣の席に内線来ても「はい、代理のトイレスマホマンです」みたいなね。

 

ちょっと話変わるけど、トイレで寝るの難しくない?トイレに座ってる以上無意識になるとシちゃう可能性があるから一応パンツまで下ろしておかないといけないし、下ろしたら下ろしたで局部周辺だけスースーした状態で寝た経験ないから慣れないし、伏せる感じで寝ようとしてトイレットペーパーが2基ある平べったいとこに片腕乗せたら金属ちべたってなるし。絶妙にコントロールされてる感がある。

トイレへの愛と憎しみをもう少しだけ書きたい。

便座洗えるやつ最高だよね。こういうやつ。

 

 

ていうか売ってんのかよ!相場わかんないけどなんかちょう安い気がする! 

こういう便座ジェルマンとか便座シュッシュちゃん大好き。何が好きかって、まずシンプルに、便座を綺麗にしたい、そこが達成されること。そして便座を個々に拭くことで、清掃員の方のお掃除が楽になること。これって就活生が特に好むWin-Winでは?こんなところにもWin-Winがあるよ?

憎しみの方も書いておくと、男性便所の音姫は無駄。使ってるの聞いたこと皆無。男って豪胆な部分を内に秘めてたいみたいなところがあって、音姫使って自分のブリ音誤魔化すなんて軟弱オカマ野郎の所業だろみたいな無益な意地があるから結局使われない。仮にYOSHIKIのドラムが菊門で奏でられてたとしても使うひとは居ないと思う。

あとこれは個人的な恨みで、ウォシュレットの水勢が今どの段階かわかんないやつやめてほしい。「+」と「−」しかないやつ。うちの会社このタイプなんですよ。ぼくって痔みたいなところあるじゃない?なので基本しょっぱなは最弱でいきたいの。最弱から徐々に上げていく水勢運用をしたいの。今のだと設定状況がわかんないから毎回「おしり」を押した後に焦って「−」をオーバープッシュすることになる。一度他人を信じて(忘れてて)水勢をいじらずにスタートしたことがあるんだけど、10段階で言うと10くらいのロケットスタートをカマされてぼくのマフラーが即クラッシュした。それ以来他人を信じられなくなったので今度産業医に相談するつもり。

400字くらいで終わらせようかと思ってたらすっかり長くなってしまった。

トイレの中で書く量じゃない。

最後に。ウォシュレットが動いてくれるタイプじゃないからって自分で腰を動かす姿はとても滑稽だね。

 

こちらからは以上です。 

 

【SHIROBAKO】聖地居酒屋で飲みながら生視聴する最高の体験

※ややネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。

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終わりましたね、SHIROBAKO。

SHIROBAKOロスでお仕事頑張れない可能性がある皆さん、愛しいです。

ぼくも毎週超楽しみにしていたので相当な憂鬱が懸念サれます。

SHIROBAKOは本当に人間ドラマとしてのエンターテイメント性が高くて、初めは「この多過ぎる登場人物どうなんだ」って思ってたのに最後はみんな大好きになっていました。みんなに人生があって、想いがあって育って、その1つ1つが全部組み合わさって作品に"なっていく"。そんなSHIROBAKOのロゴのようなカラフルさと一体感が、毎話とんでもなく楽しみで、実際めっちゃめちゃ楽しくてたまに泣いたりして。「良いもの観てるな〜」っていう優越感と、「これこの後一体どうなってしまうんだ…!」ってハラハラでドンドン夢中になっていきました。

毎週何本もアニメを見ているものの、放送時間帯に生で観ているのは唯一SHIROBAKOのみでした。というのも、特別な状況があったからです。それはタイトルの通りで、聖地の居酒屋「松亭」での視聴です。

松亭というのは作中で新人声優の坂木しずかこと「ずかちゃん」がバイトしてる居酒屋です。実在するお店でして、吉祥寺駅から徒歩7分くらいの場所にあります。

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ameblo.jp

松亭もそうですし、SHIROBAKOでは実在の場所が多く使われ、キャラクターのほとんどが実在の人物をモデルにしていることはよく知られています。そこがまた楽しみを拡げていますよね。

元ネタ関連はこちらが詳しすぎてヤバイです。ボリューム満点!

matome.naver.jp

聖地はこちらがまたスゴイ。

sinkirouno.exblog.jp

 ぼくが初めて松亭に行ったのは2期が開始してすぐのことでした。その時、もうなんだこれ、こんなことがあっていいのかと感動が極みました。アンビリバボーって感じです。

「大好きなアニメの」「聖地で」「お酒を飲みながら」「友人と生視聴できる」

これたぶん一生で来るか来ないかレベルのことだと思います。奇跡です。ぼくの場合は更に「家近いので歩いて帰れる」「お店のひと大好き」あたりがプラスされ、もうこれ毎週行くっきゃないとなり、その後ほぼ毎週行きました。最初は限られた人数だった店内も、ドンドンひとが増え、2期後半は常に満員でした。

 こんな感じで常にサイコーの状態が続きます。

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お店の内観はメニューやお酒の並び方、「田酒入荷」の貼紙まで作中と全部同じです。

 

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松亭登場回ではどちゃくそ盛り上がります。「おぉぉぉぉぉ!!!」という声とともにお店のおとうさんとおかあさんに拍手が起こります。

 

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写真が下手でアレなんですが、ご飯もとても美味しいです。安心できる家庭の味!メニューは一般的な居酒屋ラインナップが揃っており、オススメはDVD/BD4巻特典イラストにもある焼き鳥や、チキンカツ、鳥豆腐、唐揚げ、焼き魚(特に鮭!)。揚げ物はブルドッグとんかつソースでいただくのが正義です。

最終回はいつもに比べ多くのひとが訪れる予定だったため立食パーティー形式に。普段とは違った松亭ですが、味はやっぱり松亭でイェス!となります。

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 エビフライも井口さんも大好きです。

 

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いつもは真ん中のホワイトボードに日替わりオススメメニューであるお刺身や白子ポン酢やらが書かれているのですが、最終回当日は違いました。

 

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宜しいよ!宜しいです!こういう細かい気遣いや優しさが松亭の良いところですね。もっと誇ってください。いつもオタクが騒がしくしてごめんなさい。おとうさんおかあさん、いつもありがとう。

作品に使われたきっかけとしては、元々水島監督が近くに住んでいた時の行きつけのお店だったんですよね。放送後メインキャストの声優さんたちもみんな揃って来たことがあるらしいです。

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ポスターやグッズが飾ってあります。典型的な居酒屋で急なアニメコーナーです。実は有志の方々からのプレゼントの品々らしいのですが、有志はガチであり、武蔵野アニメーションの名刺を個人で作ったり、武蔵野アニメーションの社用車を自作されてたりします。車買ってステッカー貼ってなので100万円くらいはかかるのでしょうか。今は5台のムサニカーが現存するそうです。

 

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こちらは第三飛行少女隊原作者である野亀さんのモデルとなった野上武志さんの直筆アリア。変な話ではなぁぁぁあああいッッ!!

 

松亭での視聴は少なくとも10回はして、全てが本当に楽しかったです。毎話最大の臨場感を持って盛り上がり、2ちゃん実況やTwitter実況とはまた別のすごい楽しみがあります。

なにせお酒が飲めるのがいいですね。本編始まるまでに出来上がることが多々あり、前話の録画を見つつミムジーとロロの物真似で30分ほど過ごします。「ロロはロだね!」を20回くらい言います。本編が始まっても出来上がっている人々はCMの「レベル・ネオ」でも骨頂になります。「レベル…」からの「ネオ!!!」で気持ち良くなるとのことです。最終回当日も出来上がったひと達の中で、dアニメストアのうざったいCMは「アニメは、人類をつなぐ、最高の文化だイェー!」か「文化だヨォー!」なのかで激論になり「イェー!」派が圧勝しました。

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  最終話で「ドンドン、ドーナツ、ドーンといこーう♪」をみんなでやった時の画像です。今まではそれぞれ乾杯の時にやってたりしましたが、全員で上山高校アニメーション同好会と一緒にやるのは初めてでした。これまでで最高のカタルシスが生まれました。

 

SHIROBAKOという作品自体については魅力や思うところがたくさんあるので、書くかわかんないけど別稿で語りたいと思います。

とりあえず伝えたい、残したいのは松亭での視聴体験が如何に特別で、最高であったかです。みんながコンテキストを共有しているのはネット実況と同じ、ファン同士が顔を突き合わせるのはオフ会と同じ、でもその両方をアニメと最大限にリンクしながら味わえる機会はもうなんかすごいやったぜ!ってカンジです。視聴後は作品の余韻に浸りながら「いやぁ〜良かったねぇ〜!」ってすぐお酒に戻って感想戦したり駅までテクテク帰ったり、毎回楽しみが過ぎました。

SHIROBAKO最終回終了後も例のごとくdアニメのCMが流れましたが「イェー!」とか「ヨォー!」とかはどうでもよく初めて「最高の文化だ」と受け入れられました。変な話。

一旦区切りが着きましたが、またおじゃまさせてもらいますね、松亭さん。

本ブログご覧の方も機会があれば行ってみてください。一緒に録画を観ましょう。

 

 明日に向かってえくそだす!

 

 

 

 

 

親を愛していない

僕は親から愛されていると思う。それなりの愛を受けてきたと思う。

僕は親を愛していない。そして愛さないこともできない。

 


映画『マイ・マザー』予告篇 グザヴィエ・ドラン監督デビュー作 - YouTube

 

幼い頃は母親が好きだった。末っ子だから甘えていられた。

他の子供に母が良い顔をしていると腹が立って簡単に不機嫌になった。

母親はそれを見て仕方の無い子ねと微笑みながらあやす。僕はその行為にも腹が立った。

母を支配したかったが本当は支配されていることに気が付かされる。

 

思春期になるにつれ、徐々に話さなくなっていった。

一言二言、「うん」や「別に」、三言目で「まあまあ」、くらいしか会話はしなかった。

これには兄の影響が強かったように思う。彼は僕よりも家族のことを想い、理解していた。でも先に思春期を迎えた兄がだんだんと口数を減らしていって、思春期というのはそれが当然なんだと思い込んでた。

一旦離れてしまうと水や粘土のようには戻らず、人間として嫌うようになった。

服や音楽の趣味、外面が良いわりに品が無いところ、たまに起こすヒステリー。

人間としては合うことが到底無い。14歳の少年と40過ぎのおばさんが友達にはなれない。

 自分はどんどん新しいものを見て知っていき、分別がつくようになる。

だけども醜悪に思うものを受け入れられる器量は備わってない。不安定。親であるがゆえの横暴にもウンザリだった。

そうやって人間として否定するものの、親が子供を愛することは当然だと思っていた。当たり前のように親から愛されたかった。これが愛だと教えられたかった。目を閉じても輝いているような愛で僕を許して欲しかった。

ただ現実はそうもいかず。当時の僕が単純に愛を感じられるようなことはなかった。僕が同級生に首を絞められ気絶して頭を打った時、母は僕の学校での状況には一切目もくれず教師を追い込むだけ追い込んだりと、むしろ失望する機会の方が多かった。

あと個人の問題として、アイデンティティの混乱もあったと思う。僕は生まれが関東で育ちが関西なので、家では標準語で外では関西弁だった。それはたくさんある針の一つだけど、自分自身がどんな存在かもよくわからず、その他のテンヤワンヤで自己否定真っ盛りな僕に、愛したり愛されたりを充分にできるわけもなかったのだ。

大阪ハムレットというマンガに僕を宇宙に放り出すセリフがある。

事情あっておじいちゃんが孫を育てている家庭での感情に余る泣きながらの言葉。

「子供は毎日幸せにしたらなアカンのに。」

おじいちゃんが不憫な孫娘を見て号泣しながらこう言う。 僕は弱いので泣く。

おおかみこどもの雨と雪なんかも本筋と関係ないところばかりで泣く。

どんなに不安になっても、絶望をしても、最後に絶対的な愛が待っていて、だから大丈夫だと思えるような、ちょっと理想すぎだとわかっているけど、そんな愛があれば…

 

その後大学留年時代にも派手に言い合ったりして、今も結び目が解かれていない。

父は父で酒癖が悪く酔うと攻撃的で、素面でも何か口を出すと思ったら正論か事なかれ主義なことしか言わない人だった。一度だけつかみ合いになったことがあるけど、あれは「お前お母さんを泣かせただろ謝れこの野郎」っていう僕が完全に無視された言い方だったのでその後ずっと気になった。

もう家族の関係は修復できないよなぁ…と何度か泣いた。そういえば家で泣くのはお風呂の時か深夜自分の布団に包まった時だった。一人暮らしを始めてすぐの頃、いつでもどこでも泣けることにすごく感動したことがある。

海外の映画に出てくる家庭のように「愛してるよ」って言い合うほどでなくてもよいけど、お互いにぼんやりとでも認識できる家庭になればいいな。好きな料理を言うとそればっかり作られるので一切言わなくなるんじゃなくて、アレもコレも好きだって言えるようにすればいいかな。帰省する日は逆に料理を作ってあげるなんてどうだろう。どんな仕事してるとかどんな友達がいるとか、お父さんお母さんのことはあんまり知らないし聞いてみるのも良さそうだ。「二人が大人になったら」と言って保存していたワインはどこに行ったんだろう。

全く特別ではない家庭で、親子ともに特別ではない人間で、大きな問題なく産んで育ててもらった。ちゃんと息子であることは理解している。でもまだ愛していない。この先どうやっていけばいいのかわからないけど、どれだけ時間が余っているのかわからないけど、愛したいと思っている。だから今後も何かで親子愛が描かれる度に泣いて悩む。

無条件に、なんて聖人になってくれと言うような稚拙なことは言わないから、親子であることを前提に親子を超えて愛し愛されたい。あー、でもやっぱ悲しさは残るな。自分はどうだろう。自分ならどうだろう。追及してはいけない気もする。

こんな考えばかりが巡る。いつかこのブログに書いた風な話もできたらいいな。

ちょうど母の誕生日が近いことも思い出せた。

 

親子の複雑な愛におやすみなさい。

 

 

じゃんけん残酷物語

とりとりじゃんけんをやめろ!!!

そもそもこの言葉伝わりますかね。ぼくの地域ではそう呼んでいました。

ちっちゃい頃、ドッチボールやサッカーや野球でチームを分ける時、リーダー格の2人がまず別チームに分かれ、その後2人がじゃんけんで勝った順にメンバーを選んでいくアレです。アレは残酷です。わかりやすく序列がついていく。単純に運動神経の良い順に取られていくのであればまだいいけど、「こいつおもしろいし」とか「仲良いから」という理由も充分に加わってくる。結果、ぼくは余り物だった。最後にぼく1人だけ残った時、人数が多いほど優位なスポーツであったにもかかわらず「いらん」と言われたことがある。

この文章は、どちらかというと余ったひと向けです。

 

最近少しずつ興味のある映画を見始めていて、上記の『とりとりじゃんけん』が「桐島、部活やめるってよ」に登場していた。過剰に心を抉られることとなり、登場人物が当然の様にそれを受け入れているのを見て、相当異常に思え、辛さが骨頂だった。

 

みなさんは最近泣いたことがあるだろうか。ぼくはある。

なんで泣いてるのかと言うと、新たに悲しいことが起きたわけではなく、昔の悲しいことや、自分という人間を思い知らされて泣いている。今ある悲しさに気付かされて泣いている。そりゃ仕事は辛い。辛いけど悲しくはない。ぼくは悲しさで泣くのだ。

逃げていた。仕事、アニメ、映画、音楽、インターネットに。母から来る電話、おばあちゃんの手紙、誘われていない結婚式の写真、全てから逃げている。そんな末端のことはどうでも良いのだけど、それを引き起こす様々なことと未だ向き合えず、乗り越えることができず(すごい斜面が急なんだ‼︎…ごめんなさい)、怠慢を撫でている。最近観た映画はことごとくぼくの悲しさを掘り起こしてくるので、ガッデム感が強く、鈍痛がする。

 

ここ最近観たものは前述の「桐島、部活やめるってよ」や「Elephant」、「Colorful」、「ヒミズ」など、なぜか学生が登場するものばっかり。決して意図したわけじゃない。ほんと偶然。単に学生が主人公の作品という部分より、強く感じた共通項がある。それは、『学生を取り巻く環境に当然のように暴力的な不条理が存在し幅を利かせている』というところ。

「桐島」ではごく自然かつ異常なスクールカースト、「Elephant」や「Colorful」はイジメ、「ヒミズ」は家庭環境。映画に出てくるような壮絶なものじゃなくずっと小規模だけど、現実にもどうしようもない不条理が溢れていて、学生世界のクソさがほとばしってる。

そう、とりとりじゃんけんも、ヤンキーに後ろからいきなり蹴られるのも、濡れ衣で体育教師に髪の毛を引っ張られるのも、ぼくに全くパスが回ってこないのも、好きな女の子が何故か突然学校に来なくなるのも、みんなみんなみんな不条理だ!!!その暴力は精神をブち、仕様も仕方も遣る瀬もない!!!!「弱いからだ」とか「その経験も青春において大事」とか、絶対にしたり顔で言うんじゃないぞ‼︎!!!絶対だぞ!!!!!!

人生においては短い期間とか言うけど学生の頃はそれが世界であって、例えば3年間、それは永遠に感じられて、希望なんてほとんど無いんだ!!!!!!!!!!

自分が急に変わっていくだけでも心が大変なのに周りも急に変わっていく。賢くなっても、残酷さはそのままじゃないか!!!!!!

 

不条理に対してどう反抗していく????

どうすれば勝て、どうすれば報いることができる????

深夜、毛布がぼくの嗚咽を吸収してどんどん湿っていく。ぼくは耐えるだけなのか。善意悪意カジュアルに振られる暴力になすがままなのか。平穏に生きていくのはそんなに難しいのか。疎まれるような卑しい人間なのか。だとしてもそこまでされなきゃいけないのか。

ネオ麦、加藤智大、渡辺博史、程度はあれ、みんな反抗したかったのでは。自分が味わった理不尽に対して報復をするつもりがあったのでは。すごく納得できる行動だった。ぼくらは顕出していないだけで相当な量の理不尽を浴びてきてるからな。すごく短絡的だけど不条理に対して勝てるのは不条理しか無いんだ。みなさんもいつ彼らのようになってもおかしくないですよ。むしろ彼らのように狂ったり無敵になれない分、劣っているのかもしれません。優れているのかもしれません。ぼくは本当に怖かった。彼らと紙一重だと思った。

 

過敏だけど図太い精神と、運のおかげで今は生きている。でも後遺症みたいなものはある。インターネットでよく見る「承認欲求が強いが自己肯定感の低い人間」になってしまった。

他人に否定される経験をもって、自分自身を否定することに慣れてしまっている。そのせいでアイデンティティが少ない。悲しい自分がアイデンティティになり得そうだ、けど認めたくない。本当は幸せだと素面で笑って言いたい。スカスカの、とても小さな自己だ。嫌われないように嫌われないようにと自分を殴打してなんとか整形している。出来の悪いポンカンみたいになっている。食べられるところが異常に少ない。それを流行りの文体でコーティングしてインターネットに流している。インターネットには自分が晒せる、なんて言うけれど、本当に晒せているのか。それはただの延命ではないのか。

「わかる」と声をかけかまってほしいのに「お前に何がわかる」と思ってしまう人間め。

『学校は社会の縮図』という言葉から社会もクソだとよくわかったよ。でも社会はもっと自由だし広いから、うっすらでも生きていられる。せっかく生き延びたんだ。もっと徳をアッパーにしてこう。ずっとでっかな愛を受け入れてやろう。コンプレックスもひとつずつ解いていけるさ。不条理の暴力が見えない世界、あまりない世界、自分が居ても許される世界に絶対に行こう。現世でぼくらのエデンをつくろう。

 

以上、近況となります。