東京

週末ロックフェスに行った。

そこでくるりが「東京」を演った。

 

込み上げた。感情が混んで何の感情で泣いているのかがわからなかった。演奏が終わった後、横に居た女性も涙を流しているのがわかった。速やかに拭っていた。ただそれだけだけど。

 

大阪から東京に来てもうすぐ1年経つ。まだ慣れたり慣れなかったりしている。

 

東京に来てとても嘘をついた。ちっちゃい嘘を日に何個も重ねている。職場で電話がかかってきたら「折り返しで」といって上司に話し続ける。めんどくさい対応があったら「社内ルールで無理なんで」といって断る。こんな小規模な嘘をついて、自己保身に精一杯。みんながみんな、仕事では利害を押し付けあってきて、結構心が爛れていく。こんな瞬間を繰り返すことで「大人には色々あるんだよ」とか垂れるのであればクソだと思う。

 

ぼくはよく嘘をつく子供だった。口が達者で、屁理屈を言い、知ったかぶりをする。その上めんどくさがりなのでしょっちゅう言い訳をでっち上げていた。歳を重ねるごとにそんな薄っぺらい見栄を抱えて生きてもしょうがないと気付き、なるべく飾らず誠実に生きようと心がけていた。それがこの有り様である。

なんでまた大人になってまでこんな嘘をつかねばならないんだ。誠実より利益が優先される、営利企業というのはこんなに精神を蔑ろにするのか。あと面白いと思ってかすぐ服を脱がそうとする先輩死ね。低俗の極みが。文脈上関係無いが死ね。せめて遠くに行け。

 

最近幸福とは何か、自分は何に幸福を感じるのか、ということを考えていた。

もっと自分のことを考えてあげないといけないなと思う。殊自分に興味が無く、頑張る気が今まで起きず。幼少期の頃にあった自己愛を思春期にめっちゃ否定したからだと思う。その代わり他人のためとなるとすごく頑張れる、喜びも感じる。でもやっぱり孤独な人間として自己精神の高まりを求めていくべきなのではないかと思い至り。自分を幸福にしてあげなきゃいけないなと思い及び。

これに共感してくれるひとがいた。その子も自分を十分に大切にしたり信じることができなかったのだろうか。その子は東京から出て行くことになり、特に詳細を知るわけではないが、「東京め」という気持ちになった。器用では無く、どこかしら歪みがあるし解けない絡み方をしているかもだけど、いつだって正しいよ。

そういうひとを含めてぼくには今目の前に救える人間はいないので、自分に目を向けるしかない、というのもある。これでもかというくらい夢中になるひとがいればそのひとだけ考えて生きていけて楽そう。

いくらアニメを観ても酒を飲んでも快楽が積み重なるだけで全く進んでる感じがしない。なんか意識高くなってきた。けど、Facebookにポエムを投稿するほどの強者にはなりたくないものです。快楽得るものはだいたい揃って不自由が少ないのだけど肝心なものの手に入れ方が霞む感じがする。

 

以上、また書きます。