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じゃんけん残酷物語

とりとりじゃんけんをやめろ!!!

そもそもこの言葉伝わりますかね。ぼくの地域ではそう呼んでいました。

ちっちゃい頃、ドッチボールやサッカーや野球でチームを分ける時、リーダー格の2人がまず別チームに分かれ、その後2人がじゃんけんで勝った順にメンバーを選んでいくアレです。アレは残酷です。わかりやすく序列がついていく。単純に運動神経の良い順に取られていくのであればまだいいけど、「こいつおもしろいし」とか「仲良いから」という理由も充分に加わってくる。結果、ぼくは余り物だった。最後にぼく1人だけ残った時、人数が多いほど優位なスポーツであったにもかかわらず「いらん」と言われたことがある。

この文章は、どちらかというと余ったひと向けです。

 

最近少しずつ興味のある映画を見始めていて、上記の『とりとりじゃんけん』が「桐島、部活やめるってよ」に登場していた。過剰に心を抉られることとなり、登場人物が当然の様にそれを受け入れているのを見て、相当異常に思え、辛さが骨頂だった。

 

みなさんは最近泣いたことがあるだろうか。ぼくはある。

なんで泣いてるのかと言うと、新たに悲しいことが起きたわけではなく、昔の悲しいことや、自分という人間を思い知らされて泣いている。今ある悲しさに気付かされて泣いている。そりゃ仕事は辛い。辛いけど悲しくはない。ぼくは悲しさで泣くのだ。

逃げていた。仕事、アニメ、映画、音楽、インターネットに。母から来る電話、おばあちゃんの手紙、誘われていない結婚式の写真、全てから逃げている。そんな末端のことはどうでも良いのだけど、それを引き起こす様々なことと未だ向き合えず、乗り越えることができず(すごい斜面が急なんだ‼︎…ごめんなさい)、怠慢を撫でている。最近観た映画はことごとくぼくの悲しさを掘り起こしてくるので、ガッデム感が強く、鈍痛がする。

 

ここ最近観たものは前述の「桐島、部活やめるってよ」や「Elephant」、「Colorful」、「ヒミズ」など、なぜか学生が登場するものばっかり。決して意図したわけじゃない。ほんと偶然。単に学生が主人公の作品という部分より、強く感じた共通項がある。それは、『学生を取り巻く環境に当然のように暴力的な不条理が存在し幅を利かせている』というところ。

「桐島」ではごく自然かつ異常なスクールカースト、「Elephant」や「Colorful」はイジメ、「ヒミズ」は家庭環境。映画に出てくるような壮絶なものじゃなくずっと小規模だけど、現実にもどうしようもない不条理が溢れていて、学生世界のクソさがほとばしってる。

そう、とりとりじゃんけんも、ヤンキーに後ろからいきなり蹴られるのも、濡れ衣で体育教師に髪の毛を引っ張られるのも、ぼくに全くパスが回ってこないのも、好きな女の子が何故か突然学校に来なくなるのも、みんなみんなみんな不条理だ!!!その暴力は精神をブち、仕様も仕方も遣る瀬もない!!!!「弱いからだ」とか「その経験も青春において大事」とか、絶対にしたり顔で言うんじゃないぞ‼︎!!!絶対だぞ!!!!!!

人生においては短い期間とか言うけど学生の頃はそれが世界であって、例えば3年間、それは永遠に感じられて、希望なんてほとんど無いんだ!!!!!!!!!!

自分が急に変わっていくだけでも心が大変なのに周りも急に変わっていく。賢くなっても、残酷さはそのままじゃないか!!!!!!

 

不条理に対してどう反抗していく????

どうすれば勝て、どうすれば報いることができる????

深夜、毛布がぼくの嗚咽を吸収してどんどん湿っていく。ぼくは耐えるだけなのか。善意悪意カジュアルに振られる暴力になすがままなのか。平穏に生きていくのはそんなに難しいのか。疎まれるような卑しい人間なのか。だとしてもそこまでされなきゃいけないのか。

ネオ麦、加藤智大、渡辺博史、程度はあれ、みんな反抗したかったのでは。自分が味わった理不尽に対して報復をするつもりがあったのでは。すごく納得できる行動だった。ぼくらは顕出していないだけで相当な量の理不尽を浴びてきてるからな。すごく短絡的だけど不条理に対して勝てるのは不条理しか無いんだ。みなさんもいつ彼らのようになってもおかしくないですよ。むしろ彼らのように狂ったり無敵になれない分、劣っているのかもしれません。優れているのかもしれません。ぼくは本当に怖かった。彼らと紙一重だと思った。

 

過敏だけど図太い精神と、運のおかげで今は生きている。でも後遺症みたいなものはある。インターネットでよく見る「承認欲求が強いが自己肯定感の低い人間」になってしまった。

他人に否定される経験をもって、自分自身を否定することに慣れてしまっている。そのせいでアイデンティティが少ない。悲しい自分がアイデンティティになり得そうだ、けど認めたくない。本当は幸せだと素面で笑って言いたい。スカスカの、とても小さな自己だ。嫌われないように嫌われないようにと自分を殴打してなんとか整形している。出来の悪いポンカンみたいになっている。食べられるところが異常に少ない。それを流行りの文体でコーティングしてインターネットに流している。インターネットには自分が晒せる、なんて言うけれど、本当に晒せているのか。それはただの延命ではないのか。

「わかる」と声をかけかまってほしいのに「お前に何がわかる」と思ってしまう人間め。

『学校は社会の縮図』という言葉から社会もクソだとよくわかったよ。でも社会はもっと自由だし広いから、うっすらでも生きていられる。せっかく生き延びたんだ。もっと徳をアッパーにしてこう。ずっとでっかな愛を受け入れてやろう。コンプレックスもひとつずつ解いていけるさ。不条理の暴力が見えない世界、あまりない世界、自分が居ても許される世界に絶対に行こう。現世でぼくらのエデンをつくろう。

 

以上、近況となります。