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定期を失くした

先週の土曜、僕は会社の人間と吉祥寺で飲んでいた。正午から日が変わったあとまで。結局何時間飲んだかわからない。どうも最後がいつかわからないのだ。久しぶりに吐くまで飲んだ。何かしら迷惑をかけた気がするけど、それすら覚えていない。毎度こうなると、申し訳無さ以上に恥ずかしく、結構深めの穴に入って、「公務なんで」みたいな意味は分からないがもっともそうな理由をつけて2週間くらい桃鉄をやりたくなる。関係各位、ご気分を悪くされていましたら誠意を見せますのでWebフォームからご連絡ください。

深酒した時にかぎって、なぜかちゃんと帰れてるし風呂まで入ってたりする。朝も7時くらいに目が覚めたりする。今回も身体こそなかなか起きないものの、うっすらとした、知らせで言うと注意報くらいの二日酔いで済んでいたようだった。「だる〜」と独り言を外と室温の変わらない部屋に放ち、しばらく寝続けた。飯を食べないとそのうち手足が痺れてくるので、バレンタインの周辺でいただいた義理を食べる。食べられる義理と食べられない義理があり、季節柄食べられる義理が部屋に存在していたのだ。シャワーを浴び、平静を装って、街へ出ることにした。散歩程度で大したことはしていない。途中とてつもなく炭酸飲料が飲みたくなった。飲みたくなりますか?「ドデカミンC」みたいな名前も見た目も味もバカな飲料を買って飲み、クゥ〜〜〜した。悲劇はそのあとで、家に戻りカバンから物を取り出そうとすると激烈に濡れていたのだ。淡黄色に、人工的な甘い香りをブチまけており、ドデカミンが流出していた。慌ててタオルやティッシュを動員したのだが、ヌメ革の財布の様が悲惨だった。世界一甘いイルビゾンテだったと思う。いくつか入っていた紙幣も溺れかけていて、全員を救助した。軽く拭き取り、どうしようかと一瞬考えた結果、僕は紙幣をドライヤーで乾かすことにした。混乱のど真ん中にいた僕も、このはじめてで、罪悪感が伴う行為にワクワクした。家に戻り15分程度、僕はまだコートを脱いでいない。「ゴーーー」と音を立て熱風を福沢に送る、すごく熱くなる。届いてるか、英世。見えてるかい、「TURBO」だぜ。今まで使ったことない辺縁系皮質から恍惚感を伴う物質が出てくる。みなさんもお気に入りの紙幣を濡らしてみましょう!結局3枚くらいで飽きて、残りは吹いてから床に並べて放置した。ファブリーズをかけた。

そして今朝、僕は何事も無く健康に出社した。1ヶ月の定期が土曜に切れるとわかっていたので、家を出てからまっすぐ駅の券売機に向かった。まだ若干水跡が残る財布から定期を出そうとすると、無い。いつも入れていたカード入れの横の空間に、無い。マイナンバーカードはある。キャッシュカードもクレジットカードもある。だが定期が無い。どこかに落としたのだろうか。一昨日の壮絶な飲み会の空間のどこかか、家か、カバンか。いずれにせよ、朝のこの時間にゆっくり探す暇は無い。僕は新規で定期を発行した。デポジットをまた払う無駄へのいらだちと、前の定期に入った1,300円程度の惜しさに思考が逸れそうになったが、真っさらな印字がされたPASMOを受け取ってゲートを抜け、日常のループに突入した。

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定期は、どこに行ったんだろうか。帰ってこないんだろうか。定期とは僕にとってなんだったんだろうか。デポジットの500円を払えばまた取り戻せるような、簡単な関係だったんだろうか。アイツと一緒になったのは、僕が上京してきた時だ。かれこれ4年になる。当時の僕は大阪でICOCAってヤツと付き合っていて、東京で新たな生活とともに、PASMOを迎え入れた。今思うと、ずっと一緒にいたんだなぁ。よく終電近くまで付き合わせていて、アイツがいるのに終電を逃してタクシーに乗ったこともあった。「私がいるのに」ってアイツは思っていただろうか。今回の深酒なんて電車にすら乗らないのに僕は朝まで飲んで、アイツのことなんて考えていなかった。現金を切らした時に自販機やコンビニで登場してくれて「ありがとう」と言ったことはあったけれど、それはなんていうか、感謝ではなく、「便利に使っている」というだけだった。どこに行くにも一緒だったのに、「ただいま」も「おかえり」も言ったことはなかった。今アイツは待っていてくれるのだろうか。財布を持ち出すたびに印字がかすれて、たとえば磨くとか、アイツが綺麗になることをしてやれなかった。いつも1ヶ月の定期で、全然贅沢をさせてやれなかった。いつか、1回でもいいから、半年の定期にしようと思っていたんだ。本当だよ。でも、もう叶わないのだろうな。今は別のヤツに拾われて、少し余っていた1,300いくらのお金を使われてしまっただろうか。それで捨てられてしまってないだろうか。アイツには1,300いくら以上の価値があるんだ、僕は知っている。他のヤツには消え入りそうな文字の、どこから来てどこまで行くのかわからない、ただの硬いカードかもしれない。だけど僕にとっては、大切な1枚なんだ。僕らの思い出がたくさん記録されている。全部じゃないが僕も記憶している。大阪でもお前が使えた時は嬉しかったよ。僕が持ついくらかの磁気はアイツのものなんだ。同時にアイツが持ついくらかの磁気は僕のものだ。アイツの声だけ見分けがつく。僕にはただの「ピッ」じゃなかった。そんなことばかり考えるけど、もうアイツにチャージできない、という事実だけが僕を締め付ける。これから僕はアイツがいない朝を、夜を、何度もくぐり抜けないといけない。毎日は続いていくけれど、駅員さんに会った時は欠かさず尋ねるようにしよう、アイツの居場所を。僕にできるわずかなことを、精一杯やっていこう。