親を愛していない

僕は親から愛されていると思う。それなりの愛を受けてきたと思う。

僕は親を愛していない。そして愛さないこともできない。

 


映画『マイ・マザー』予告篇 グザヴィエ・ドラン監督デビュー作 - YouTube

 

幼い頃は母親が好きだった。末っ子だから甘えていられた。

他の子供に母が良い顔をしていると腹が立って簡単に不機嫌になった。

母親はそれを見て仕方の無い子ねと微笑みながらあやす。僕はその行為にも腹が立った。

母を支配したかったが本当は支配されていることに気が付かされる。

 

思春期になるにつれ、徐々に話さなくなっていった。

一言二言、「うん」や「別に」、三言目で「まあまあ」、くらいしか会話はしなかった。

これには兄の影響が強かったように思う。彼は僕よりも家族のことを想い、理解していた。でも先に思春期を迎えた兄がだんだんと口数を減らしていって、思春期というのはそれが当然なんだと思い込んでた。

一旦離れてしまうと水や粘土のようには戻らず、人間として嫌うようになった。

服や音楽の趣味、外面が良いわりに品が無いところ、たまに起こすヒステリー。

人間としては合うことが到底無い。14歳の少年と40過ぎのおばさんが友達にはなれない。

 自分はどんどん新しいものを見て知っていき、分別がつくようになる。

だけども醜悪に思うものを受け入れられる器量は備わってない。不安定。親であるがゆえの横暴にもウンザリだった。

そうやって人間として否定するものの、親が子供を愛することは当然だと思っていた。当たり前のように親から愛されたかった。これが愛だと教えられたかった。目を閉じても輝いているような愛で僕を許して欲しかった。

ただ現実はそうもいかず。当時の僕が単純に愛を感じられるようなことはなかった。僕が同級生に首を絞められ気絶して頭を打った時、母は僕の学校での状況には一切目もくれず教師を追い込むだけ追い込んだりと、むしろ失望する機会の方が多かった。

あと個人の問題として、アイデンティティの混乱もあったと思う。僕は生まれが関東で育ちが関西なので、家では標準語で外では関西弁だった。それはたくさんある針の一つだけど、自分自身がどんな存在かもよくわからず、その他のテンヤワンヤで自己否定真っ盛りな僕に、愛したり愛されたりを充分にできるわけもなかったのだ。

大阪ハムレットというマンガに僕を宇宙に放り出すセリフがある。

事情あっておじいちゃんが孫を育てている家庭での感情に余る泣きながらの言葉。

「子供は毎日幸せにしたらなアカンのに。」

おじいちゃんが不憫な孫娘を見て号泣しながらこう言う。 僕は弱いので泣く。

おおかみこどもの雨と雪なんかも本筋と関係ないところばかりで泣く。

どんなに不安になっても、絶望をしても、最後に絶対的な愛が待っていて、だから大丈夫だと思えるような、ちょっと理想すぎだとわかっているけど、そんな愛があれば…

 

その後大学留年時代にも派手に言い合ったりして、今も結び目が解かれていない。

父は父で酒癖が悪く酔うと攻撃的で、素面でも何か口を出すと思ったら正論か事なかれ主義なことしか言わない人だった。一度だけつかみ合いになったことがあるけど、あれは「お前お母さんを泣かせただろ謝れこの野郎」っていう僕が完全に無視された言い方だったのでその後ずっと気になった。

もう家族の関係は修復できないよなぁ…と何度か泣いた。そういえば家で泣くのはお風呂の時か深夜自分の布団に包まった時だった。一人暮らしを始めてすぐの頃、いつでもどこでも泣けることにすごく感動したことがある。

海外の映画に出てくる家庭のように「愛してるよ」って言い合うほどでなくてもよいけど、お互いにぼんやりとでも認識できる家庭になればいいな。好きな料理を言うとそればっかり作られるので一切言わなくなるんじゃなくて、アレもコレも好きだって言えるようにすればいいかな。帰省する日は逆に料理を作ってあげるなんてどうだろう。どんな仕事してるとかどんな友達がいるとか、お父さんお母さんのことはあんまり知らないし聞いてみるのも良さそうだ。「二人が大人になったら」と言って保存していたワインはどこに行ったんだろう。

全く特別ではない家庭で、親子ともに特別ではない人間で、大きな問題なく産んで育ててもらった。ちゃんと息子であることは理解している。でもまだ愛していない。この先どうやっていけばいいのかわからないけど、どれだけ時間が余っているのかわからないけど、愛したいと思っている。だから今後も何かで親子愛が描かれる度に泣いて悩む。

無条件に、なんて聖人になってくれと言うような稚拙なことは言わないから、親子であることを前提に親子を超えて愛し愛されたい。あー、でもやっぱ悲しさは残るな。自分はどうだろう。自分ならどうだろう。追及してはいけない気もする。

こんな考えばかりが巡る。いつかこのブログに書いた風な話もできたらいいな。

ちょうど母の誕生日が近いことも思い出せた。

 

親子の複雑な愛におやすみなさい。