すき焼きをごちそうした

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今日、お世話になっているご夫婦にすき焼きをごちそうした。いつもごちそうしてくださる側の夫婦は最初、恐縮するような居心地の悪いような表情で、食事をしお酒を飲んでいた。僕は恥ずかしいような誇らしいような心情で、上京してから覚えた緑茶ハイを飲んでいた。

 

お店で待ち合わせをする前、僕は不動産屋さんと部屋の内見をして回っていた。どの部屋も今の部屋より段違いに良く、もうシャワーカーテンにカビをつけることも、隣の男子大学生のベースが上達する様子も知ることが無いのだと思うと、1割寂しく、9割最高だと感じた。だって冬の間エアコンを全力で動かしても室温18℃までしか上がらないんですよ今の部屋。どうやっても良くなる。

内見の移動中、不動産屋さんがこのあとの予定を僕に尋ねた。「お世話になっているご夫婦に食事をごちそうするんです」とありのままに答え、不動産屋さんは「そんな素敵なことがあるんですね」と、少し驚いていた。僕は「そうですよね」とちょっとドヤッてしまったことと真面目に答えてしまったことに恥ずかしくなり、過ぎる街並みへ視線を逸らした。単にその行為にナルシズムを感じるというだけでなく、僕は初めて会った人にも言ってしまいたくなるくらい、すき焼きをごちそうするに至る出来事や気持ちをとても大切にしている。そう考えると、このあとの食事がいっそう意味のあることに思えた。

 

夫婦は僕が地元大阪で大学留年をカマしながらくすぶって、東京のインターネットサービス界隈の人に絡みまくっていた頃からの付き合いだ。噛み付くようなブログを書いたり、企業公式アカウントのアンチアカウントみたいなのをつくったりする、小規模にクズな人間だった。

就活で東京に来るたび、オフ会を開催し遊んでくれる人たちがいた。夫婦はその中にいて、会で初めて出会って結婚までされたという、僕がきっかけとも言えるけど引き合わせる意図はなかったしでもすごい、良いですね、良いことです、という縁のあるお二人。結婚式の二次会にも呼んでもらえてなぜか乾杯の挨拶をすることになり「は、ハンドルネームじつぞんです」と謎の自己紹介をするなどした。偶然ながらに縁を感じるお二人なのだ。

上京してからも、夫婦はとても良くしてくれた。たびたび食事に誘ってくれて、毎回ごちそうになった。お家で夏野菜カレーをふるまってくれたこともありましたね。すごく美味しかったなぁ。お店でお金を出そうとするときにはいつも、「君のご飯代は特別予算として承認されてるから」と言ってごちそうしてくれた。夫婦と飲むときも、奥さんとだけ飲むときもそうだった。「困っていたらいつでも言ってね」と、安月給で具のないパスタや西友の半額弁当でしのいでいた僕に優しい言葉をかけてくれた。異常に寒い部屋の中、ダンボールのテーブルに乗せて半額の太巻きを食べていたとき、あまりにも自分が情けなくなってきて泣いて、でも泣きながら食べる様子面白いかもと録音してSoundcloudにアップしたときはかなり心配をかけてしまいました。

「いつもすみません、ありがとうございます」といつかの夜に言ったときもそうだった。「君のご飯代を出すのは決まっていることだから」と、かっこよくごちそうするのだ。堂々とおごられておきなさい、と言っているようだった。僕は「いつかちゃんと稼げるようになったらごちそうします。えーと、すき焼きとか!」と、いわゆる出世払いの提案をした。なぜすき焼きなのかというと、東京の豪勢な食事といえばすき焼きというイメージを持っていたから。単純ですね。奥さんは「いいね。待ってる!」と出世払いの多くが果たされないことを理解しているのか、がんばってねと背中を押してくれているのか、あっさり提案に乗ってくれた。僕はこの約束を絶対に守ろう、そのために頑張ろう、と社会人生活の目標にした。罪悪感から一時的に逃れる「言葉だけの出世払い」ではなく、本当に出世して上がったお給料でごちそうしよう、「約束」を守ろう、と強く思った。

それから4年くらい経って、「出世」と言ってよいほどかはわからないけど、自分の中で許せるくらいの役目を得ることができた(昇格した)。給料も当時に比べるとずいぶんもらえるようになった。それこそ引っ越しできるくらいに。今まで少し給料が上がるたびに「まだだ、まだ約束を果たすほどじゃない」と夫婦に声をかけることを許さなかったけど、最近の昇格でついにGOサインが出せた。昇格したとき、「嬉しい」とかより先に「やっと約束が果たせる!」と思った。4年もかかってしまったんだなぁ。

 

僕にとって今日の夜はここ数年のどんな夜より誇らしかった。どんなお肉より美味しかった。美味しいと言って喜んでくれるのが嬉しかった。夫婦お二人と揃って会うのは久しぶりだったけどすぐいつもの安心感が戻ってきて、なんでもないことを話し、変わったことや変わってないことを確認した。お会計は現金で払った。そのほうがこの行為を強く感じられると思った。

「お返し」を始められた喜びを噛み締めながら夫婦と分かれ電車に乗った。次はどんなすき焼きをごちそうしよう、お互い年齢的にお寿司もいいよなぁ、なんてことを考えながら家に着き、今この文章を書いている。上京からずっと住み続けたこの家もそろそろお別れだ。たくさんの心を重ねた上京からの5年が終わる。