tofubeats『水星』はインターネットで第二の思春期を迎えたぼくのアンセムです。

 

好きな、本当に好きな曲を語るとき、話せば話すほどその曲をさらに好きになっていく。じんわりと、「うわぁ!好きだなぁ!」って。

「ほんとにさ……聞いてる?…良いんだよ。もう、良い。ほんと良い。」

気持ちが湧き上がるほど言葉にするのが難しくなっていき、しまいには相手に伝えようとせず、自分に言い聞かすようになる。

「聴いたらわかるから!」

iPodを取り出しイヤホンを解き渡しロックを開け曲に辿り着く、その時間がもどかしい。共有したい。スクロール遅いよ。共通したい。早いほうがいい。

「どう?どう?」

曲始まって5秒も経ってなかったり。そういえば、こうやって聴いてるときに1コーラスでイヤホンを取らず最後の1音まで聴き終えるひと、素敵だと思う。

 

 

 


tofubeats - 水星 feat,オノマトペ大臣(PV)

 

 

 

-------------------------------------------4分40秒後------------------------------------------------

 

 

 

 

6/30にiTunesなどでtofubeatsの『水星』のデジタル版が発売されることが、先週金曜日彼のサイトで告知された。現在はYouTubeやSoundCloudでこの曲を聴くことができる。

( 詳しくはこちら→ http://www.tofubeats.com/suisei.html

溢れる多幸感。どこまでもメロウで、優しい。一度壊したポップを丁寧に拾い集め繋ぎ合わせたら、綺麗に輝くミラーボールになっていたような。天真爛漫なポップソングではなく、カウンターでもある。朝、昼、晩、と太陽の角度が変わるにつれてミラーボールが色を変化させていくように、その時間、空間、精神ポジションでこの曲も変化していくように感じる。でもほんとは、水星は全く変わっていない。鏡が乱反射させるぼくの日常が変化していくだけなんだ。水星は感情を写し沁みこむ、そしてまたぼくを照らす。ぼくは聴く度に、いつも受け入れてくれる、わかってくれる、そう思える。これは、ぼくの音楽なんだ。そんな曲、それがこのtofubeatsの「水星」……………

 

実はぼく、こうやってドヤァと紹介し雑感書いてる割にはニワカでして。

そもそもクラブ行ったこと無い。tofubeats知ってから半年くらいしか経ってない。だから、それっぽいことは何も言わない。言えないことは言わない。

 (ほんとはネットレーベルMaltineRecordsの持つストーリー性なんかも語りたいんだけど。なにぶん知識が無さすぎる。)

代わりに、インターネットカルチャー大好きなぼくが感じる、

「水星が重大で特別なものになるだろう」予感を語りたい。

 

 

 

 

閉塞。閉塞してるんだ現在は。なんだってんだ全く。

インターネットのロマンが薄れてる。たまに出て来てロマンを語る人間、どこに居たって満足を手に入れられそうで、戦艦級のポジティブさを持って、なぜかちょっと肌が黒い。どこに工場があるのか突き止めたい。

ソーシャルメディアというものを、クラスのあのやかましいキラキラした集団が使い始めた。あの子もその子も外見を晒し内面を隠すようになってしまった。ぼくのいいね!は彼女が外界で押し殺し深夜鍵垢でブチ撒ける直情にあげたいのに。

人間コンテンツ即消費即廃棄。マジックの種明かしはネットワークビジネス。次はカルト?オウムなら終わったよね。終わりにしようよ昭和の残骸だろ。それでさ、風営法を違法ダウンロードすればいいの?トレンドはやくまとめてよ。

 

確実に、着実に、何かが終わりそうなインターネット。

この状態で、大っきな一歩は踏めなさそうなカルチャー。

それでも依存してるんだ。

 

ぼくたちにはわかりやすい下卑たヒールが必要なんだと思う。「敵」を求めてる。そいつを潰せば世界が変わるような。「敵」はもういくつもいるのかもしれない。ただし数が多いのか真実を隠すのが上手いのか捉えきれてない。照準が定まらない。そこで、だ。

 

ぼくらにはストーリーが必要だ。ぼくのストーリーではない。きみのストーリーでもない。「ぼくたちの」ストーリーが必要だ。共通の文脈に自分たちがいて、それぞれが主人公であるような、そんな構造が必要なんだ。

たとえば、アニソンで熱狂できるのは同じ作品やキャラや時代を共通のコンテクストとして持つからで、AKBやももクロに熱狂できるのは、彼女らのストーリーやオタク文化を共通のコンテクストとして持つことができるから、そこが大きいんじゃないのかな。

 

もうひとつ、これほどハマる例えは無いと思うんだけど、

 

『ダンスフロアに曲が流れていて、みんなが個々に踊っている』

 

 その「曲」が「ぼくたちのストーリー」であり「文脈」であり「アンセム」だろう。

 

 

そうアンセムなんだ!!!!!!!

何が欲しかったってアンセムなんだよ!!!!!!!!!

 今夜はブギーバックだけじゃ足りないんだよ!!!!!!!!

 

みんなが瞬時に共通の了解を持って愛する曲を共有する。そんな素晴らしい体験を共通したいんだぼくらは。別にダンスフロアじゃなくったっていいし、踊らなくたっていい。

インターネットがあってみんないる。文章を書いたりできる。みんなもっと踊ればいいと思うよ。音楽でも絵でも文でも何でもいいから踊ればいい。ダンスをするのが超大事。

トラックメイカーだけがピュアな訳じゃない。みんな複雑で、それでいてピュアなんだ。

別に戦いたいわけじゃないけど、日々のしかかる鬱屈や感傷を何か力に変えてどこかに影響してみせる。そう想い光る一瞬を集めて、恒星が惑星を照らして、どんどん空が綺麗になっていくことがあれば、素晴らしいんてもんじゃない。ものすごい質量の希望がこのアンセムには詰まっているんだ。今ならクラブカルチャー、ネットカルチャー、クラブミュージック、って背景がセット付きで楽しめるよ。

そしていつかハッキリとした敵ができたとき、みんなでヘッドショットしましょう。

 

 

 

ここまで書いてきたのはあくまでもぼくの「ストーリー」であって、きみの「ストーリー」じゃない。「ぼくらの」なんて言葉を使って誤解させてしまったかも。そもそも自分のストーリーを他人に押し付けたり、楽曲に過剰に意味を持たせることは好きじゃない。自由に楽しみ、踊りたきゃ踊ればいいんじゃない、と思う。だが少なくともぼくにとってこの『水星』は、文化的運命を感じてしまうほどに特別で、精神ライブラリで最上位にくるほどデータの宇宙を輝き渡る、そんな予感を預けてくれた。早く確信したい、ぼくだけの特別な予感。

でも、仮にぼくらが何か共通できるなら、いつでもどこでもその場に居合わせよう。同じ神輿を担いで熱狂しよう。同じ歌詞を口ずさもう。同じビートに身体揺らして、同じタイミングで手を上げよう。

ブラウザを開き文字を打ち込みヘッドフォンをはめて再生ボタンをクリックorタッチ、その時間がもどかしい。共有したい。音量は後でいいよ。共通したい。早いほうがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インターネットはダンスを助長する。

 

 

ぼくのインターネットは為す術がありません。

 

ここ最近のぼくのインターネットときたら、大規模な炎上案件が立て続いてる。インターネットってばすごくて早いから、考察や建設的な批判がすぐ出てくる。自分がもやもやさせてたもの、それの更に深いもの、斜めったもの、いっぱい出てくる。ありがとうございます。

特にstudygiftについて参考になったものを少し。

 

I'm looking for a new way to fly...: studygift〜学費支援プラットフォーム〜について。お金は怖いということ。限定的支持・批判・提案: http://yuheisuzuki.blogspot.jp/2012/05/studygift.html

いま話題の「学生支援サービス」は形を変えた「就活」の気持ち悪さ: http://anond.hatelabo.jp/20120518154450

 

 

正直、どうでもいいんですね。それよりぼくのインターネットが危ない。

家入さんが最近やってるのってもう十分に(ネットでは)有名なひとがお金を得るためのサービスって感じ。オレポンとかそう。既に救われてるようなひとが更に救われる、そんなインターネット。G+日本一のひとだって既に救われてるようなもの。名は知れてるし内定あるじゃん。ぼく名前も内定も無いですよ。

 

うまく輝けないひとの逃げ場、名前も知らないすごいひとの舞台だったインターネットは有名人が幅を利かすインターネットへ。これからもっとそうなって行くんだろうなって思う。もし逢沢りなの写真集に出資するプロジェクトあったらしちゃうじゃん?ローラがTwitter始めた時湧いたじゃん?時東ぁみの記事まずまずブクマ集めたじゃん?そんなもんなんだよ。今は歩み寄られてる。ジリジリと。アイツらの迎合は始まってるんだ。そのうちテレビでおなじみの方々がお茶の間インターネッツを埋め尽くす。とりあえずネット有名所と対談とかしちゃったりする感じ?したたかですね。大資本と芸能コンテンツとエロスパムで文化としてのインターネットは終わりに向かうのか。なんだそれ。つら。最終戦争として2ちゃんねるニコニコ動画を武器にガチンコで殴り合うぽよ〜。そんでニコニコ動画に謀反されて死ぽよ〜。(予感)

 

本当に脆弱で、何者にもなれないぼくら。悔しいけど救われません。遣る瀬もありません。別に昔のWebがそういうひとたちを救ったのかというと、決してそういうわけでもないのだけれど、こうもまざまざとお前要らないよと思わされるのも辛いものがある。インターネットに触れて、一瞬でも夢見てしまった、ぼくの一部が世界に認められる瞬間、光景。その夢すらも見にくくなっていく。嫉妬と自己嫌悪と怠惰で包まれたぼくもきみも救われません。期待するな起きろ。

 

 

 

あと、人間はコンテンツじゃない。

コンテンツじゃない、というか、無闇にコンテンツにしてはいけない、と思う。一部を切売するのはいいんだ。もしそれが否定されてもそのひとは否定されないから。そのひと全てをコンテンツにしちゃうと、衆目に晒され不慮に攻撃された時、そのひと自体がダメージを背負ってしまう。「自分が否定された」と強く感じてしまう。そしてそれが一生ネットの海に残る。そういった状況に耐えられたり、長い目で見てもうまく利用できるひとはしてもいいと思うんだけれど。家入さんはそれができるひと。坂口さんは覚悟出来たのかな。

学生が学費を支援してもらうって、その目的が学問じゃなければもうほとんど「自分自身」に対してお金をもらうようなもの。その「コンテンツ」が分不相応だと叩かれるよね。もちろんそれだけが理由ではないけれど。インターネットの大衆の前で顔と名前と経歴+α(このαが結構デカイしツライ)が晒されるリスクをもっと知っておいたほうがいいと思う。なかなかの修羅道な気がする。コラ画像作られてネットにバラ撒かれるのに耐えられる?黒歴史晒されるよ?学校に家族に電凸されるよ?オプションでストーカーも付ける?

インターネットで晒されて「空きれいでちゅわ」しか言えなくなったおっさんをお前らに見せてやりてーよ。

 

 

 

 

もいっこ。この衆愚がきみのインターネットのありのままだ。

 

studygiftに関わる佐々木俊尚さんのツイートまとめ~多様なあり方があることを認識し、支援したい人が支援すればいい。同意できないのなら無視すれば良い~ - Togetter: http://togetter.com/li/306327

 

支援するのもされるのも自由だろ、偉そうなこと言えんのかよ、おまえつくってみろよ、みたいな批判を批判する発言。ブッチギリでナンセンス。大多数に何かを晒した場合、それに対するリアクションはもちろんある。好意も悪意も両方。最近はTwitterなんかのシステム上増幅されやすかったり直接非難を届けることも可能になっている。そこに文句言ってもしょうがないんだよ。必ず出てくるものだから。「認識し」、「無視すればいい」のはサービス提供側で、批判する側じゃない。ぼくがサービスを出している側だったら検索が汚れるしまた荒れるだろ外野うるさい、応援ありがたいですけどメールか電話でください、って思う。ニコニコ動画でいう、動画への批判コメを信者が更にコメで批判する、みたいな形。

 

インターネットは善で満ちた空間でも何でもなく、現実よろしくのクソミソ混合体だ。「だってにんげんだもの」で大体説明出来る。クソのパワーが強めなのがたまにキズなのだけれど。だから提供側はその中でミソを拾える限り拾っていくべきだ。ただ個人を積極的に傷つけにいくやつは死ね。

ネット人口が増える(それも中年以上か子供)。SNSが拡がって今まで見えなかったクラスタが可視化される。インターネットが濁るわけですねよくわかります。「最近のインターネットは…」みたいに感じることはまだまだ続くはず。ぼくらが愛したインターネットのハイコンテクストは瓦解する。というか肩身が狭くなる。どうでもいいですがインターネットの誇るべきハイコンテクストの中には「うんちんまん」というものがあります。本当にどうでもいい。

 

 

 

ぼくが愛するTwitterでは、自分を剥き出すこと、Web人格を作ること、繋がることがいっぱい出来た。超楽しい。愛してる。文化も夢も確かにあった。

その中で、インターネット自己実現の難しさに直面した。上手なひとはどこにいったって上手なんだった。

優良黒船コンテンツがどんどん侵食してきたのもTwitterFacebookほどでは無いけどリアル人格との結びつきも強くしたTwitter。ぼく達はあと何個サブ垢を作ればいい?

そして増える大衆、いわゆる「感度の良い洗練された」文化人達がたちまち希釈されていき絶望の顔.jpg。

 Twitterは「何者にもなれないぼくら」の最後の砦であり、確実に終わりに近づくことを察知させるもの。その中でぼくは「ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!」しか言えないのかもしれない。またインターネットを探さなきゃいけないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インターネットはざまーみろを助長する。

 

 

リンゴ飴食べてなんか気分悪い

自分のこと客観視するテクニックがこの1年で上昇した。

いい事かは知らない。なんかやばくなったら霊魂のみ抜けだして自分観察する感じなので、逃避に近い。全部当事者っていう状態に心が耐えられないのかな。逃避出来てるってことは正常な反応が出来てるってことなんで特に心配してないんだけど。

他人のことを考えるのは好きだ。そのひとがどうすれば喜ぶか、笑うか、考えてくれるか。そのひとのためにはどうしてあげたらいいんだろうって、すごい想像力掻き立てられる。エネルギーが湧き出てくる。自分にはそのエネルギーを当てれたことがないので、最近は自分を他人みたいにして、「自分のためにはどうしてあげたらいいんだろう」って考える。

何が言いたいかって言うと、気合入り過ぎるので読むことを避けてた「宮本から君へ」を読もうと思い立ったけど風呂に入った数十分の間に見事にダウナーになりそんな気力がなくなった困ったってことです。逆に、中学か高校ぐらいから行なっている、暗い部屋でSigur Rosを聴きながら布団にくるまり号泣する、という通称「子宮還り」という根暗な儀式をしようかと悩むくらい。普段そんなことしながらテンション調整を行なっています。未だファームです。

インターネットは無気力を助長する。